2016年2月21日 聖書:イザヤ書35章1〜10節
「新たに歩む」 鈴木重宣牧師

人力車について。世界に人力車を送り出したのは、直方の人だったということは知られ ていません。当時大評判となった人力車は誰もがその簡便な乗り物を作り、仕事を作り、 多くの人の移動を支えました。もしも特許制度が整備されていたとしたら、直方は九州随 一、筑豊の姿はまったく違っていたかもしれません。宮田にも田川にも飯塚にも、きっと 知られていないたくさんのすごい物語があるに違いありません。探して共有し、発信して いきたいものです。現在宮田教会は牧師がおらず代務者という制度で凌いでいる状態で す。教会につながる一人一人の努力と忍耐が強く求められる時です。筑豊全体でも、宫田 の町や教会においても、まさに荒野、堪え忍ぶ試練の時、です。この試練をしっかりと自 覚し、痛みと苦しみの共有を共同体としてなすとき、私たちにはイザヤの言う喜びと楽し みがより深く強く感じられます。イザヤの名前は「エホバは救う」または「主は救い」と 言う意味で、彼の生涯と教えは、神が備えた救いの道を示しています。イザヤ35章は「神 の国」の有様が書かれています。最初が自然の回復です。「神の国」においては、<荒地> からまず豊かな土地となるというのです。陰の部分に日が当たると言いましょうか、乏し い部分に、恵みが注がれることによって、自然が回復されるということです。自然は人工 とは異なり、神による見事なバランスが成り立っています。格差も排除もなく、環の中で 見事に成り立つ自然の妙が、神のよって造られた世界です。現在の世界には飽食と飢餓が 同時に起こっています。世界の全人ロの1/7の人々9億人近くが飢餓と栄養不足のために 苦しんでいます。毎年、900万以上の人々が飢餓が原因で亡くなっています。直方と宫 若全部を合わせた人数の90倍です。しかもこれは、人類全体の死亡原因のトップです。 —説によると、世界で生産される食料の総量は、120億人分をまかなえるほどだそうで す。このように全世界の人々の2倍分の食料が毎年生産されていても、世界の1/4の人々 の飽食に回されています。そのため、人類の死亡原因のトップは飢餓ですが、2番目は肥 満が来るのではないかと指摘する人もいます。実は、日本において、コンビニやスーパー や家庭でできる食料廃棄物は、毎年国連が援助している食料の三倍の量になるそうです。 世界にはこのような格差が現実としてあるのです。「そのとき、見えない人の目が開き、 聞こえない人の耳が開く」というイザヤの言葉が示すのは、現在の様々な格差や排除、私 たちが見えずに気づかずに見過ごしている様々を、指しているのかもしれません。見えて いないことを見える、と言い張り、間こえていないことを間いたと言い張る。愚かな私た ちこそ、神の国を遠ざけている張本人であり、加害者であり被害者であるのかもしれませ ん。神の国は、やがてやってくるものでも、やがて行くところでもない。私たちは、ただ 受け身的に神の国を待ち望めばよいのではなく、自らを変えて変えられて、そこへと導か れていかなければなりません。自ら至らないことを知り、神の前にへりくだって歩む。私 たちこそが、変えられ変わらなければ、神の国は実現しない。そのために、私たち自身を 変えて下さい、そして世界を神の目によしとされる調和の取れた、すばらしき世界へと導 いて下さい。と祈り求める。そのような信仰者としての歩みを、受難節、無牧師の今、強 く祈り求めていきましよう。

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