2016年12月18日 マタイによる福音書1章18~23節 「その名はインマヌエル 神は共におられる」 世良田静江牧師

私が拘っている幼稚園は12月の第一土曜日にクリスマス会を致しましてた。ここ数十年、富岡正雄先生のクリスマス物語「もう一人の博士」でアルタバンの旅を行っています。勿論、演じるのは年長組です。
その年の年長の人数や担任の教師も加わり演じています。毎年毎年観ているのですから感激が薄いように思われがちなですが、毎年深い感動を得られるのです。一つにはヘロデの兵隊の迫力がありますと、アルタバンの優しい心が伝わって来ます。兵隊をする子どもはその役になりきって男の子たちの憧れです。靴音を高くして、舞台に出て来てユダヤ人の母親から赤ん坊を取り上げようとすると、アルタバンがイエス様に出会ったら捧げようとして持って来た宝石で助けるというアルタバンの心がしっかりと伝わる劇となっています。そして次に売られそうな少女を助けるアルタバンの「人を売ったりしてはいけません」という言葉で私たちに人の大切さを年長さんが演じるのです。さて、ユダヤ人の考えによると聖霊には特殊な働きがあって、それは神の真理を人々に伝えるものであるということ。預言者に語る言葉を告げたのは聖霊であった。聖霊こそ各時代、各世代を通して、神の真理を人々に伝えたのであった。イエス様において私たちは神の愛、憐れみ、恵みを知る。
イエス様の降誕と共に神を想像していた時は去り、神を確かに知ることができる時が来ました。そして、ヨセフというマリアの夫を通して様々なことを私たちに示してくださるのです。ダビデ王のように理想の王とされる人の系図にも言い表したくない事件があり、その末えいにつながるヨセフの妻マリアからイエス様が誕生されるとは。すべてこれらのことが起こったのは、主が預言者によって言われたことが成就するためと書かれています。
私はいつもクリスマスはミステリーに満ちていると思うのです。占星術師とも言われる博士たちは旅をしてまで幼子に捧げ物を持って旅をして、イエス様に出会った。その時の驚きや感動などはどうであったのか。マリアになった子どもが「お言葉通り、この身になりますように」と言いますと、日頃私たちは「お言葉通りに・・・」と言っているでしょうか。唯、神様は「共にいる」と断言してくださっています。今、抱えきれない悩みや問題があっても喜びや充実した日々の歩みはその倍もあります。「神はあなた方と共にいる。ハレルヤ、アーメン」

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