2017年2月5日 聖書:コロサイの信徒への手紙1章15節~20節  「キリスト賛歌」 世良田静江牧師

 コロサイの信徒への手紙は、伝統的に獄中書簡として知られる一群のパウロの書簡の一つです。この名がつけられたのは、それを書いた時、彼パウロは「囚人」であった証拠が手紙の中にあるというだけの理由によります。エフェソ・コロサイ・フィリピ・フィレモンなど4つの手紙集成の中、三つは一まとまりの関係にあります。ティキコがそれぞれの書簡の運び手として語っています。さて、本日の箇所15・16節は見えない神の姿であり、すべての被造物に先立って最初に生まれた方、そして万物は彼において造られ、天にあるもの地にあるもの「見えるもの、見えないものも王座も主権も支配も権威も万物は彼によって彼のために造られた」とパウロは言うのです。17・18節においては、彼はすべてのものより先におられ、そしてすべてのものは彼にあって成り立っています。また彼は「である教会」の頭です。「彼は」始まりであり、死者の中から最初に生まれた方です。それはすべてにおいて彼が第一の者となるためでした。19・20節というのは、神は御心のままに彼の内にすべての満ちあふれるものを宿らせ、そして彼によって地にあるものであれ天にあるものであれ、万物をご自分と和解させ「彼の十字架の血によって平和を打ち立て」られたからです。聖書が私たちに語ることを、それは理想論やきれいごとではありません。苦難に満ちた私たちの現実の世界に聖書は良き知らせを届けてくれます。その良き知らせとはイエス・キリストが与えられたということです。「キリスト賛歌」と呼ばれる今日の箇所は、イエス・キリストがだれであり、どのような存在として世に与えられたかということを大変美しくうたう信仰告白です。イエス・キリストの生涯を通して可視的になった。そのことによって恵みをもたらしてくださった方が、あのイエス様なのだと今日の聖書は告白します。ここにはイエス・キリストが「すべてのものが造られる前に生まれた方」であるとか「教会の頭」「初めの者」「死者の中から最初に生まれた方」「第一の者」であることが告げられています。すべてにおいてキリストの優位性が示されすべての者に先立つキリストの性質が告白されているのです。イエス・キリストは今日も私たちに先立って歩みを進めてくださいます。私たちがこの教会で神への信仰を確かなものとし、日々、御心を求める歩みをなし、理想ではなく、私たちの現実に生きて働くイエス・キリスト。その大きな存在に気付かされ励まされ今週も歩みを進めていきましょう。

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