2017年5月28日 聖書:マタイによる福音書 26章36節~44節 「祈るということ」 豊田護兄

「祈る」ということは、自分の願いを口にしてお願いする事ではありません。今目の前にある現実を、どんなにつらい事であっても受け入れ、「御心のままに」と神様にゆだねることです。キリストは起きて祈っていなさいとペテロ達に告げますが、彼らはその言葉を決して理解しようとはしません。それに対しキリストは、「父よ出来ることなら、この杯を私から過ぎ去らせてください。しかし私の願いどおりではなく、御心のままに」と祈ります。自らの死を前にして、「御心のままに」と祈ります。愚かなペテロ達は、キリストが捉えられ殺されると告げられ、お前達は私を裏切るという現実を前にしてもそれを受け入れようとはしません。彼らは「起きて祈っていなさい」という意味を全く理解しないのです。

 これは私たちの日常の姿に似ています。「祈ること」は「願う」事ではありません。
今置かれている厳しい現実や、自らに降りかかった課題をしっかりと受け止め、「御心のままに」と神様にゆだねることです。そこから全てが始まります。これからますます生きにくい時代が始まろうとしています。いやもう始まっています。今こそもう一度自らの祈りしっかりと考え直さなければならない時ではないでしょうか。

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