2017年6月4日 聖書:マタイによる福音書6章12節   「主イエスの祈り」 世良田静江牧師

 本日の箇所は、祈らない方、教会には殆どいないと思います。主の祈りはご説明することなど不必要な程、ご存知の事と思います。イエス様が教えてくださいました主の祈りです。主の祈りは前半三つが神について讃美をすることから始まります。後半三つ目が日ごとの食物から始まります。食物、体に必要なもの、お金、物質、経済、衣食住について神に求めることを許されていると。むしろこれは命じられているのです。「あなたがたの天の父はこれらの物がことごとく貴方方に必要であることをご存じです。」と主イエスは教えてくださいます。ここでいう日ごとの食物、それは自分のパンだけではなく、むしろ隣人のパンも含まれているのです。私たちは教会の中で主の祈りをしていない教会はないでしょう。My father ではなく Our father 私たちの父なる神と祈るものは隣人のパンに対しても配慮する祈り、更にここには今日お与えください。明日、あさってのことではなく、明日のことを思い煩うのではなく、今日無くてはならないものを満たしてくださいと。箴言30章7~9節を読みましょう。この様に祈れる人々は今日の価値と意味を知っているのです。次に罪の問題です。罪とは何でしょうか。神に従うことを妨げるものです。神につくられた私たちが神に従って生きることです。自分勝手な考えや自分の立派さを誇って神に従わずに生きることが罪なのです。イエス様は私たちが他人に何をしているのか思い起こさせ、許すことを祈りの中に命じられました。ここにイエス様の深い考えを受けとめなければなりません。もう一つは試みです。神なしでも何かをやっていく。最初は確かに上手く行ってもこの成功観こそ偶像崇拝に他なりません。悪魔は神以外のものを大きく見せる手品師です。どうか、誘惑に落入ることなく、主イエスの教えてくださった祈りを心の中心に置きましょう。

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