2017年7月2日 聖書:ローマの信徒への手紙8章26節~ 30節「幻をもって歩む信仰」世良田静江牧師

 ローマ書と一言でいえば、聖書の中で最も多く読まれる書。過去との宗教改革もローマ書から始まったと言われています。書きて、送りてはパウロ、パウロは小アジアのタルソに生まれたユダヤ人。タルソは当時エジプトのアレキサンドリアに次いでギリシャ・ローマの文化の中心であり、成長したパウロはエルサレムに来て、ガマリエルの門下生としてユダヤの法律を修めている。彼の祖父も父もローマの市民権を持っているので、彼も生まれながらに市民権をもっていたとされる。このローマの信徒への手紙は55年頃書き送ったとされている。今年、ペンテコステは6月4日でした。教会が最初に誕生した喜びの日、私たちはいつも心にこの事を刻みつけておきましょう。今、私たちは何故、この教会にこの礼拝堂に集っているのでしょうか。改めて考えてみますと実に不思議な導きの中で、今日、私たちはここに集っているのだと気付かされます。その意味ではこれは私たちに与えられた神の摂理です。よく仏教の方々はご縁という言葉を使いますが、神の摂理と私たちは言います。パウロは迫害する者からその反対側の立場となりました。彼は人生の中で栄光と希望、苦難と境遇を経験し、その中で言い続けるのが忍耐という一語です。パウロの希望に輝く目と涙に濡れる目とがこの忍耐という言葉の中に融け合っていると思うのです。パウロを助け励まし、不撓不屈の精神を鼓舞したものは幻をもつ希望であったと思います。パウロは自分の弱さを知っていた人でした。「どうか、私のために祈って欲しい。頼むから私のために祈ってくれ」パウロは書簡の中に書き送ります。私たちも様々な事に出会う。それは喜びばかりでなく、この苦しみから誰が救ってくれるのか叫びたくなる中で、全ての事相働きて益となる。耐えられない苦しみなど無い。逃れる道もまたあると約束されているのです。幻を抱くとは信仰を希望にかえ、自分の日々の歩みの中に幻を抱きつつ信仰の道を歩んでいきましょう。

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