2017年7月16日 聖書:ハガイ書2章~9節       「栄光に照らされて」 鈴木重宣牧師

 旧約書の中でも特に短く読まれることの少ないであろうハガイ書は、捕囚から帰ったイスラエルの民の神殿再建の場面が描かれている書物。小さく短くとも、聖書に含まれる大切な書物。事の重要度は量の多寡には左右されないということを、いと小さき者に強く働かれる神に信仰を導かれた私たちは、今一度想い起こさなければなりません。
 かつてのソロモンの神殿を知っている者たちは、ちゃんと再建されない神殿をみて嘆き、或いは再建されていく神殿をみて「情けない、小さい、みっともない」と批判否定していた。破壊と喪失に打ちのめされたイスラエルの民に、預言者ハガイを通して語りかける神の励ましと勇気の言葉がハガイ書にはつづられている。
 九州北部水害によって甚大な被害を受けた東峰村も朝倉市も、月に数回は熊本支援の往路復路において車で通っていました。テレビで見るにつれ、見る影もなく、かつて美しい日本の田舎の風景、鳥の声や虫の声、星の光、芳しい季節折々の森や畑の匂いに、この国に生まれてよかった、と思ったものだった。命が奪われ生活が奪われ、そして二度と元には戻らない災害を前に、私たちは何を思い、何を語り、何をなすべきであるのか。かつて預言者ハガイも同じような気持ちになったに違いない。「こんな状況と現実であるのに、「勇気を出す」ことができるのか」と。戦争は近付き、災害は支援を休む間を与えてはくれず、生活は困窮し、新たな病気が人々を襲う時代のただ中にあって。
 しかし命は続き、神の愛と恵みはなお続いています。なぜなら、神の霊、神の契約とその真実がここに留まり、留まり続けているという事実が信仰によって知らされているからです。「ここに、お前たちがエジプトを出たときわたしがお前たちと結んだ契約がある。わたしの霊はお前たちの中に留まっている。恐れてはならない。」と主は言われます。人間は忘れ、人や物事を投げ捨て、自らが見捨てられていると思い込んでしまう。しかし神は決してそうではありません。
 『この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。』―――イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことでした。そして、わたしたちのこころの内にイエスが宿って下さるとき、わたしたちの集いも神の神殿として建たされることとなります。ここ宮田教会をも神の御業とその輝きが現れ出る場として下さる神にすべてを捧げ、共にハガイを通して語られる御言葉に聞きつつ、主の業に励みつつ歩まなければなりません。「国の民は皆、勇気を出せと、と主は言われる。働け、わたしはお前たちと共にいると、万軍の主は言われる。」

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