2017年7月23日 聖書:コリントの信徒への手紙Ⅰ     1章18~5節 「幸福とは」 豊田護兄

「幸福」とは、何でしょうか。よく現在の世の中で勘違いされていることは、「成功」することと「幸福」を一緒だと考えていることです。「幸福」は個人的なものであり、人それぞれに異なるものです。そして「成功」一般論であり、そこにある価値は個人的には何の意味も存在しません。「成功」が「幸福」をもたらすというのは、世の中が作った幻想にすぎません。
 「幸福」は一人一人違うのです。「幸福」な瞬間を考えてみると、例えば、素晴らしい音楽を聴いて感動する瞬間、愛する人と心が通い合う瞬間、街でばったり恋人と出会う等とても個人的な事柄です。
 一方「成功」とは、何でしょう。世間が認めること、例えばお金が沢山あるとか、有名になるとかで、一般的で相手や認めてくれる世間が対象になります。世間が認めようが認めまいが人は幸福になれるのです。
 生徒によく言います。「こつこつ練習しなさい、上手い下手ではなく幸せをじることができるよ」と、難しいところが、何度も何度も練習して出来た瞬間は誰の物でもなくあなたのものです。とても「幸福」な気持になれます。人が認めなくても良いのです。
 今はとても怖い時代です。「勝ち組」「負け組」という言葉に表れています。「成功」することが大切なようにみんなが思わされています。「成功」を「幸福」だと思わせようと誰かがしています。戦争に突き進んだあの時代と同じ匂いがします。欺されてはいけません。人は「幸福」になるのではありません。「幸福」であることに気づくのです。本来、生きているということ自体が「幸福」なのですから。

聖書のお話