2017年8月6日 聖書:マタイによる福音書9章9節~13節 「憐れみの福音」 世良田静江牧師

 教団の説教箇所に従ってという事で説教を決めています。本日は平和聖日という
事です。今日は広島に原爆が投下され、世界から核兵器を廃絶しようという記念
すべき事でもあります。一言だけ申し上げれば、亡父は広島で生まれ育ち、原爆
投下される一年前に呉線沿線の竹原に移住し、被爆を逃れました。その事を「エクスソダス(脱出)」と言い、神の憐みであったと、耳にタコが出来る程、聞かされて来ました。
 私はむしろ神様が私に与えてくださった奇跡として受けとめています。
 さて、本日の箇所は、マタイがイエス様の招きに応じて、弟子となったという
記事です。当時、ローマの支配下にあったユダヤには、ローマへの税金を納める
ための税金の集金を請け負う、取税人という職がありました。勿論、正しい取立よりむごい取立で、ユダヤ社会から疎外され、取税人、罪人、遊女と一緒にされ、
収税所はその仕事をする場所であった。
 この取税人マタイの召命物語はいささか奇異ではないでしょうか。マタイと
イエス様との出会いはどうだったのでしょうか。
 イエス様の呼びかけにマタイは「立ち上がる」という服従をしました。イエス様に声をかけられても、座ったままであれば召しに従えません。
 私たちは、憐みを受け、恵みに与っています。(へブル人への手紙4章15~16節)恵みの招きに立ちより、よろこび勇んで従ってゆかなければ、信仰は無きに
等しいと思います。「わたしに従いなさい」と言われた彼は、立ち上がってイエスに従った。私たちも主の招きに応じて、立ち上がり、主に従って歩みましょう。

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