2017年8月13日 聖書 ヨシュア記 3章1-17節「ヨルダン川の奇跡 鈴木重宣牧師

 ヨシュアという名前はヘブル語で“主は救う”という意味です。どのような困難にあってもイスラエルの民は主によって救いを与えられる、ということです。イスラエルの目指すカナンの地は、自分達の先祖が住んでいた土地です。しかしそれは500年程前のことであり、いかに神による約束の地であったとしても、ヨシュアたちにとっては未経験の場所です。しかも越えなければならないヨルダン川は、雪解け水によって濁流渦巻く激流です。なぜこんな時期を主なる神は川越の時期に選ばれたのか、と民は思ったのではないでしょうか。到底不可能、と思われる激流越えによって、神の約束の地が与えられる。このストーリーは読者に、出エジプトにおける紅海越えを想起させます。海を越えエジプトを命からがら脱出し、激流ヨルダン川を越え、約束の地に入る。イスラエルの民が再び神の試練を乗り越えて神の民となる、そのような神の計画があったのではないでしょうか。
 主によって与えられた契約の箱を担ぎ濁流に踏みとどまるということは、御言葉を信じ携え直面する困難の中に立つ時に主が栄光を顕して下さるということを示しています。契約の箱、アークとも呼ばれます。後にイスラエルが周辺の国との戦いを行う時には戦場に持って行かれ、戦勝を約束してくれる、そういうものとして大活躍しました。その作り方から持ち運びの方法、運ぶ人の服装まで、かなり細かく定められていました。その厳しさや方法から、アークは巨大な発電機であったのではないか、というオカルトの説まであります。映画「インディジョーンズ失われたアーク」では、箱を開けると中からたくさんの幽霊のようなものが出てきて、目を開けていた者を引きずりこんでしまう、なんてシーンもありましたが。
 奴隷として苦しい生活をしていたイスラエルの民を救うために神は指導者モーセを立てて、エジプトから脱出させてくださいました。途中イスラエルの民は反逆や不信仰があったため40年かかりましたが、ようやく約束の土地への入り口までやってきました。そんなときヨルダン川が洪水です。しかも脱出時に20歳を超えていた者のうち、ヨルダン川を渡ることを許されたのはヨシュアとカレブの2人だけだったとされています。救いの業が数世代にわたって行われた、ということ、救いは瞬間的、単発的ではなく、壮大な神の計画が長期にわたって行われ、さらにそれは自動的な自然な流れでは決してなかった、ということです。モーセが死に新たな指導者としてヨシュアが選ばれ、いよいよ約束の地に入る時。その救いへの境界線は氾濫するヨルダン川です。この川を越えると同時に、イスラエルの民の40年間の放浪の旅は終わります。いよいよ最後のクライマックスです。
 アブラハムは神を信じて自分の住み慣れた地から行く先も知らずに旅立ち、モーセは神を信じエジプトの王に逆らってエジプトから脱出しました。これに続くヨシュアも同様に神に従う人でした。強い信仰と神への信頼は、人を一見不可解な行動へと駆り立てていきます。自分を捨てる勇気と覚悟を決意し、主の導きに従うとき、主なる神の奇跡は起こります。今の宮田教会はこの出エジプトの最中であるのでしょう。教会移転や炭鉱閉山、牧師館再建そしてなにより今の無牧師の状況は、主に導かれつつ度重なる困難を超えて進むイスラエルの民に通じます。だからこそ、最後のヨルダン川を超えていく主の民に倣う必要があります。祈りと導きを重ねつつ、勇気をもって濁流に立つ信仰を堅持しつつ共に進んでいきましょう。 

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