2017年10月8日 聖書:ルカによる福音書14章25~35節 「キリストの恵み」世良田静江牧師

 イエス様は非常に厳しい言葉を言います。特に本日の箇所はショッキングな言葉、衝撃的であり、人々を躓かせる言葉です。ここだけを読めば、むしろイエス様についてゆけない人も沢山でてきそうです。信仰には躓きがともなうとよく言われますが、今まさにイエス様が群衆に語った言葉は躓きとしか言いようのない。
今、様々な問題が解決して、私にとって、平和な喜びに満ちている時に、この言葉は余りにも厳しく、神の冷たさを感じます。私達はこの聖書箇所に、福音の喜びを見出すことができるでしょうか。一方でイエス様は汝の敵を愛しなさい。父母を敬え、隣人を自分のように愛しなさい。更にはゴールデンルールと言われる自分がして欲しいと願うことは、そのようにしなさい。と言っています。非常に矛盾しています。ここに躓きを覚えます。けれども聖書全体において矛盾を語るはずがないのです。聖書全体ではむしろ家族や大切な人、隣人を愛することの必要性が語られています。そうであるならば、今日の箇所において決して文字通り、家族を憎しみ、家族と敵対することではない筈です。この憎しむと訳された言葉は、より少なく愛する、或いはこれまでの視点を変えるという意味なのです。これまでの家族に対する視点を少し違う視点で見つめ直しないさい。と言っているのです。この世の価値観から脱却し、この世の価値観から自由になること。私たちの自主性と自由の問題なのです。私たちがあらゆる心配や思い煩いをして、時にはつらい思いをしながら愛そうとしてきた道すじ、それは相手も神の恵みの中に入れられているのですから。神のご支配におまかせすればよいのです。理不尽に生命を奪われた青年のご両親が「何故」だと問う姿を見まして生命のミュージアム展で涙しました。イエス様はすべての人を招いています。34節以外にとってつけた様な箇所があります。塩は塩気がなくては意味がない。塩らしくあれ、キリスト者らしく生きよ。と。悩んだり、思い煩ったり、心配したりするところをみ手を延ばして働いてくださいます。それが十字架の恵みです。私たちはこの恵に信頼して歩む。これが大切なのです。

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