2017年12月10日 聖書:イザヤ書35章1節~10節   「新しい道を行く」鈴木重宣牧師

イザヤの名前は「エホバは救う」または「主は救い」と言う意味です。そしてイザヤ35章は来るべき「神の国」の姿が描かれています。神の国は果たしてどのように実現するのか。それは回復されてなされることが示されています。何が回復するのかといえば、自然と人間の回復です。あるべき姿へと神によって回復されます。
 地球は温暖化が進んでいると言われています。先進諸国による工業によって大量に排出される二酸化炭素、毎日のように焼き畑で失われるジャングルなどは、温暖化の主要な原因とされています。これまでのペースで自然破壊が進めば、地球全体の大規模な環境変化が予想され、想像を超える災害が世界各地に頻発しかねない状況となっています。かつて主が創造され、よしとされたはずの世界は、見る影もなく変えられてしまいました。このような破壊を食い止めるには、これまで当たり前とされてきた自己利益優先の価値観を変更する必要があります。どこかの国が自国ファーストを題目に唱えたりしていますが、これの真逆ということになります。来るべき「神の国」における自然の回復は、新しい価値観による私たち自身に起こる劇的な変化なくしては起こりえないのかもしれません。パウロのようなシモンペテロのような、信仰的な死と復活がなされることによって、自然をも変えられるのでしょう。
 近頃戦争の準備がちゃくちゃくとなされ、一触即発であるかのような報道内容ばかりが目に付き、テレビや携帯からはJアラートなるようわからんミサイル防衛速報のようなものも試験送信されたりしています。日本お家芸の自動車産業は苦境を切り抜けるために、減産したり、より安価な車を開発したり、ハイブリッド車を主力にしたりとしのぎを削っていますが、そんな社会にあえて声を大にして言いたい。発想を転換して、車ではなく異なる力によって進む機械を開発しろ!と。ガソリンから電気というようなちょびっとの変更では到底今の閉塞感、低迷は払拭できない!と。かつて一部の帝国が世界を席巻し、あらゆる富を独占していった大航海時代。それを可能にしたのは羅針盤でした。なんの道しるべもない大海原において、星を頼りに自らの居場所と進むべき方向を知りえる羅針盤によって、欧州各国の船が世界にちらばり、進んだ技術と深い欲に支えられ、貿易という名の下に侵略と搾取と収奪の限りを尽くしていきました。新しい発想と発明によって世界が変えられましたが、その影には欲望や破滅が伴っていました。自国利益や自分の便利さや心地よさだけを追求しての発明は、自ずと世界を破滅に導いていくということは歴史が繰り返し証明しています。今のような時代にあるからこそ、自分本意人間中心な価値観ではない、新たな価値に重きを置いていかなければなりません。
 車をやめて、歩こう!だけではなく、自分の価値観のみを頼りにして歩くのをやめて、まずは信仰に踏みとどまろう!です。悪事を行わないことを通して、善に踏みとどまる。座り込みをして戦争に立ち向かう。真逆のようでまっとうなような。キリスト者としてなにをなすべきか、このアドベントの時、祈りを持って神に尋ね聞かなければなりません。イザヤは「エホバは救う」「主は救い」という意味の名前です。アドベントの時、イザヤに習い、大胆に語り、大胆に主の救いを述べ伝え、主の救いの時を待ち望みつつ、神に喜ばれるものとして、力強く歩みを進めていきましょう。

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