2018年4月1日 聖書:マルコによる福音書16章1節~8節「キリストの復活~聖き朝、主はよみがえり~」世良田静江牧師

 皆様は受難週をどのようにお過ごしになられたでしょうか。欧米では特にカトリック教国の国々ではこのレントを迎えると、主のご受難をおぼえ、静かに過ごすと聞いております。近いところでは宗像に黙想の家でも、このご受難会という修道会が運営していて、十字架の道行きを再現したりして主のお苦しみを深くおもう行事があるとのことです。
 さて、本日はこの箇所“主の復活を恐れた”という箇所です。十字架の最期を看取った婦人たちが、今後は主の復活の事実に圧倒され沈黙してしまう。何とも奇妙な有り様ですが、主のお苦しみを見た人たちが今後は主の復活に沈黙してしまう。ここに深いおもいをおぼえます。“主は復活された”この事実に人間が予想だにしなかった神への摂理があります。神様の深い摂理のもとに主は復活され私共に言われるのです。「行って福音を宣べ伝えなさい」と。この“行って”には世界中に出て行き、主の十字架と復活の事実、それに与える者が祝福とよろこびに満たされる福音の深い憐れみ、生きて働く神の子イエスを述べ伝えなさいと。この“恐れて事実を語れなかった”とマルコはこの記述を丁寧に書いています。信仰への実在である根本を書き記しているのです。「あなたはキリストが復活したことはあなたのあることを信じますか?」これに対してあなたは復活された主の眼差しにどう応えられますか。“誰も事実、主が復活されたのに信じなかった”と記されています。今日も主は全世界に出て行き、このことを述べ伝えなさいと言われます。これは私たちが問われているのです

聖書のお話