2018年6月3日 聖書:ローマ人への手紙8章26節~8節 「万事が益となる生き方」世良田静江牧師

 本日の箇所は18節から続く一部です。「われ山に向かいて目をあぐ。わが助けはいずこよりきたるや。わが助けは天地をつくりたまえる主よりきたる。」
山に向かって目を上げるのは、山から救いが来るのではなく、天地の創造者なる神から来ることはキリスト者であるならば誰方でもご存知です。
この言葉をもって目を高く救いのもとなる神へと上げましょう。それは人間が神の子とされ、教会として結び合わされ礼拝をささげるという事が人間のわざではなく、三位一体の神のみわざであるゆえ、三位一体の神を高く仰ぎ見て、神の救いのみわざをなしたもう神をほめたたえることです。
さて、本日のみ言葉、神は神を愛する者たちと共に働いて万事を益となるようにしてくださることを私たちは知っているとパウロは言います。ここにご計画が遂行された。つまり、やり遂げることが出来た。その根源には神の救いのご意思がある。御霊が呻くという事があります。この呻きを知らねばなりません。三位一体を仰ぐ神は人間という欠け多き者を神の子にするのにはどんなに大変な事でしょう。ここに御霊の呻きを示しているのです。私たちは御霊の実である信仰を大切にして歩もうとパウロはすすめます。この信仰者である私たちはパウロの言葉を要約すれば「我々は人を欺く者と言われるが真実しか言わない。無名の者だが皆に知られている。死にそうだが、どっこい生きている。悲しことに合ってもいつも喜んでいる。貧しいが多くの人を富ませている。何も財産はないが世界は我々のもの。」とパウロは言います。私たちはどんな境遇にも満足することを覚え貧しく暮らすことも豊かに暮らすこともできる。お腹いっぱいでも、腹ぺこでも、物があっても足らなくてもどんな場合にも生かれている。私たちを強めてくださる神様のお力でできないことはないのです。

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