2018年7月29日 聖書:列王記下4章1~7節「油の壷一つ」楊 周漢牧師

今日の聖書本文には貧しい女性が登場します。彼女の夫は早く死んだので、彼女一人で二人の子供を育てています。現代も女性一人で子供を育てることは大変な苦労ですが、昔の時代はもっと厳しい状況に置かれていたと思います。しかし彼女は子供のために一生懸命に働いたと思います。ところがある日、債権者たちが彼女にやってきて二人の子供を連れ去り、奴隷にしようとしています。この危機は彼女個人の危機だと見えるかも知りませんが、実は社会全体の危機であります。お金を返済してもらうために子供(人間)を奴隷として売っても良いという社会は神様の
この状況の中で女性は預言者エリシャに訪ねます。そして神様はエリシャを通して神様の御言葉を伝えます。

1)4章1節。女は助けを求め叫んだ。「あなたもご存知のように私の夫は主を恐れ敬う人でした。」
何故神様を恐れ敬う人(家庭)が苦難を受けるようになるのか。一生懸命信仰生活をしているのに、何故このような苦難を受けなければならないのか。この疑問が起きる時に、私たちは誤った二つの道を歩んでしまう時があります。一つは神様を非難し、神様を否定して、信仰生活から離れてしまう事です。もう一つは自分を責め、自分を否定して、苦難を神様の呪いと思い、苦難をただ耐え忍ぶしかしない事です。しかし聖書に登場する多くの人物はもう一つの違う道を歩みます。それは神に助けを求めて叫ぶことです。(4章1節)これは詩編記者の祈りにもよく登場します。詩編3編、10編、13編、17編、22編等々です。
神様は苦難の中でただ耐え忍ぶ事より、神様に助けを求め叫ぶことを願います。神様は私たちのありのままの姿を受け入れて下さいます。苦しい時は苦しみを訴え、悲しむ時は悲しみを訴え、不安で一杯な時には不安の気持ちのありのままを訴える。神様の前で助けを求め叫ぶ祈りの時に、私たちは神様の深い御心を悟り、神様の導きと奇跡を体験することができます。

2)4章2節「何をしてあげられるだろうか。あなたの家に何があるのか」「油の壺一つのほか、何もありません」
神様は私たちの祈りをお聞きになり、私の人生に介入してくださいます。
「あなたの家に何があるのか」この質問は非常に不思議な質問であります。何も持ってないと思っている私たちの態度を変えて下さり、何を持っているのか、何が残っているのかを探し、見つめ、自覚するように導いて下さいます。人間的な観点で見れば、このような小さいもの、このように少ないもの、このような弱いものが何処で役に立つのか、何処でも役にならないと思いますが、神様はいくら小さいものであっても、その小さなものを通しても大きな奇跡を行う事がお出来になる方であります。
私たちはある時、信仰が揺れる苦難を受ける時があります。真面目に信仰生活を送り、神様の家である教会を守ろうと精一杯頑張っているにも関わらず、なかなか生活が改善できずに、より大きな問題にぶつかる時があります。しかしその時が神様の奇跡を体験できる時であります。神様は私たちの叫ぶ祈りを必ず聞いてくださる方です。そして私たちに残っているものがいくら小さいものであっても、それを通して神様は大きな奇跡、神様の偉大な御業を行う事がお出来になる方であります。

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