2018年8月5日 聖書:マタイによる福音書5章9~12節 「平和をつくり出す生き方」世良田静江牧師

8月5日平和月間に寄せて

 今月は平和を考え、思い行動する月です。人間は何かを欠けている時、それを不幸と嘆き苦しみあえいでいることに対して、真の幸いをお話になります。イエス様は今、唯一つの状況に閉じこもっている人を幸いと言われません。隣人との関わりの中で人は本当の幸せを感じるのです。まず、「憐れみ深い人」それは自分の困窮や欠乏している人であっても、他人の困窮を考え行動に出られる人です。この言葉は新約聖書の中にもう一箇所でてきます。「イエスは神のみ前にあわれみ深い忠実な大祭司となって、民の罪をあがなうためにあらゆる点において兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。主ご自身試練を受けて苦しまれたからこそ、試練にある者たちを助けることが出来たのです」ヘブライ人への手紙2章17~18節。この山上の教えの中に、平和をつくる人が出てくるのです。PEACE MAKERとは悪に負けないで善に勝つ。ローマ人への手紙12章21節。神はいつも憎しみのただ中に平和をつくろうとする人を望んでおられるのです。けれども平和をつくることには多くの苦しみを伴います。その苦しみを喜んで行うことはイエス様の十字架あっての可能です。キリストは私たちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての壁を取り除き、ご自身の十字架によって神を和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼされたのです。この様に平和なしに正義を貫くことは、自分のうっぷん晴らしや憎しみを果たし留意を下げることになりかねません。この平和月間の時、私たちは広島を考え、長崎の苦しみを痛みとして受けとめる時だと思います。戦争を始める事は簡単だけれども辞めることは難しいのです。沖縄慰霊の日に14歳の少女が“生きる”という長い詩を書き読みました。その一節「火炎放射器から吹き出す炎/幼子の泣き声/燃え尽くさせれた民家、火薬の匂い/血に染まった海/摩文仁の丘の風に吹かれ/私の命が鳴っている/過去と現在、未来の共鳴/鎮魂歌よ届け、悲しみの過去に/命よ生きゆく未来に/私は今を生きていく」平和をつくる者になりましょう。

聖書のお話