2018年10月28日 聖書:コリントの信徒の手紙Ⅰ 1章26節~31節 「生きるとは」豊田護兄

 この聖書の箇所は、何を伝えているのでしょうか。生きていると、良いこともあれば悪いこともあります。どちらかと言えば悪いことの方が少し多い気もしますが、半分・半分なのでしょう。私たちは何をもって良いことと悪いことを決めているのでしょうか。生きることにとって何が良いことなのでしょうか。

一般的にはお金が儲かったり、立場が良くなったり、人と比べて勝ったりする、成功することになるのでしょうか。この前の演奏会で気がついたことがあのました。とても楽しい演奏会でした。自分が一番下手でついて行くのに必死でしたが、とても楽しいのです。ふと考えると、この歳まで吹けていること演奏していられる現場にいることが楽しいのです。完璧に演奏するとか、自分の才能を人に見てもらう演奏とは少しちがって、とても楽しいのです。「音楽」って必死で練習し頑張る事も大切だけれども、一番大切なのは、やり続けていくことなのだと、ふと思いました。そのことが演奏していて楽しいという実感につながっていたのかもしれません。

 生きていくことも同じなのかもしれません。そしてこの聖書の箇所も、勝利者は神のみで、世のなかの知識や富を得る事にはあまれ意味はなく、知識や富が問題ではなく、貧しくとも何も持っていないことにこそ意味と価値があり、人生に勝利し成功することではなく、単純に生き続けることこそ大切だと語っているのではないでしょうか。生きるとは勝つことではなく、成功することでもなく生き続けること、生きている今この瞬間に大切な意味があるのではないでしょうか。今生きていることをもう一度しっかりと考え直そうと思います。

聖書のお話