2018年11月4日 聖書:ローマの信徒への手紙5章12~21節 「永遠へののぞみ」世良田静江牧師

 本日の礼拝は永眠者記念礼拝です。先に天に召された兄弟姉妹を偲びつつ礼拝を共に致しましょう。欧米では墓碑銘に「主に在りて眠る」と記す方々が多いですが、皆様は如何でしょうか。先日、白秋記念短歌大会に佳作で表彰を受けますので参りましたら、
   被爆死の一郎心に生き続く われ果つるとき もう一度死す
という短歌が天賞でした。こんな心に迫る短歌を創りたいと思いました。天に召された方々を覚え、心の中に生き続けていますでしょうか。本日の聖書箇所は罪という文語が何回も出てきます。信条にも罪のために十字架にかかり、と私共は唱えます。一体、罪の姿の本質は、関係性は、と思います。神様との約束を破ったアダムとイヴ。住み心地100%のエデンの園、その中で全て満たされ、何もかも二人の思いのままであったのに、約束を破り追放されて苦難の生活が始まったという創世記の始まりを考えれば、神との関係性の断続を人間の側から行っているのです。私共はそれに加えて、人間関係、家族関係、友人関係と様々な関係性を断ち切って修復できない、ここに罪なる心が自分を優位に置こうとする問題まで入って心を傷つけます。この傷は修復不可能です。このパウロの書いたローマ人への手紙は私たちを離さない決意をされた神をパウロは見出したのです。ですから罪の増し加わったところに恵みもますます満ちあふれると。この不思議な論理は人間世界のものではありません。この宮田教会は服部先生によってつくりあげられました。先生は坑夫の方々と共に寝食され、天に召されました。先生の信仰の素晴らしさも称えられるべきでしょうがご家族はどうであったのでしょうか。神はゴルゴタの丘に十字架を背負わせれ、そして日本にも教会を建てられ、神を賛美する機会が与えられ、罪から解き放たれ、神を応答できる恵みが与えられているのです。私たちは神との深い交わり、そして兄弟姉妹または求道中の方々を思い、祈りつつ歩んでまいりましょう。

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