2018年11月11日 聖書:コリントの信徒への手紙Ⅰ12章27~30節「キリストを連れて来る」豊田 滋兄

最近の日本選手の活躍  力負けしない 母校の野球部のこと
福智山の絵  バス待ちて時雨あがりの福智山
犬飼光博先生の本を読んだ
1939(昭和14年)79歳 1965年~2011年(46年間)福吉伝道所(金田の近く)
大変だったはずなのに、楽しかった。来て良かった。
経済的には、ダンプの運転 土方 経理学校 困窮したはずである。
多くの社会運動に関わった 閉山 失業 カネミ 在日 同和
上野英信 崔昌華 紙野柳蔵と関わる 時代の人であった。 
教会は、無教会の影響特に高橋三郎 聖書研究が中心 現在キリスト教愛真高校理事 
補教師のため聖餐 洗礼はしない 喧嘩早く 激しい性格 我々には優しかった
多い時で15人 少ないときで5人
教会について多く書かれている 特に宮田教会と田川教会
服部先生については、非常に評価されている。
宮田は鉱夫の教会 田川は職員の教会
教会とは何か? 熊本国家的  札幌個人的 横浜教会的 大分霊的 福吉は社会的
社会との繋がりが重要であると言っている。戦時下 閉山後で左右されるはおかしい。
福吉は何も残っていない 最後の信者は、下関の方が中心だった
結果的に名人芸だった気がする
しかし40周年記念には100名を超える方が集まった
キリスト教伝道に来たのだが、逆に訪問者がキリストを連れてきた
ずっと以前から、キリストは筑豊で働いておられた
この教会でも同様なことが言える 来られた方の後ろにキリストが見える
福智山が、筑豊のどこからでも見えるように、神は見ておられる。
教会は人々をつないでいる。教会と教会をつないでいる。
貧しきものは幸いなり 私の軛は負いやすい を実践した牧師であった。
今後のありかた、筑豊の教会は疲弊してゆく、宮田教会の真価が問われる
社会派でも国家的でも個人的でもない路線を歩んで行きたい。文化的な要素である。
福吉のピアノは、何年も弾いていないピアノであった。
宮田との違いはそこにある。今後の教会は奏楽者が鍵となる気がする。
奏楽者のいない教会は、益々疲弊する傾向がある。
犬飼先生は、よい模範を示された。我々の行く道を示された気がする。

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