2019年2月3日 聖書:ルカによる福音書5章33~39節 「新しい教え」世良田静江牧師

本日の箇所は断食について、古い衣服に当て布、つまり継ぎ当てをする、そして古い皮袋に新しいぶどう酒は入れない、という三つの事が括られて入っています。断食を修行として行うヨハネの弟子たちに対して「イエス様、貴方の弟子たちはそういう事もしない」という質問や意見に対して、イエス様はきっと穏やかにその断食の行為が何のためにどのような本質であるのかを丁寧に譬をもって語られました。私たちの中にイエス・キリストがいなければ難行苦行も意味をもちません。福音は神のみをみつめすべての神の賜物と考え、神に栄光を帰しますが修業は自分の功績になりがちです。次に古い衣服の破れを繕おうとして新しい当て布で修整してもかえって破れを大きくしてしまうとイエス様は言います。日常の生活、母マリアの姿をしっかりととらえた生活をして来たイエス様だからこの譬は解りやすく理解された事でしょう。さらには新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたら発酵に伴い古い皮袋は裂けてしまい何の役にも立たず、新しいぶどう酒を駄目にしてしまうでしょう。
この三つの括りの中で、主イエスは何を言おうとされたのでしょうか。律法主義、形式的な事ばかりを言い、自分をよしとする人たちに、一度、古い考え方や守れそうもない行いや律法から離れてごらん、古い衣服を全て脱ぎ捨て、新しい生き生きとした考え方はできないのかと私たちに問うているのです。着慣れた服は着やすいけれど、一度古い物を脱ぎ捨て、新しい教えを受け入れてはどうだろうかと言われるのです。古い自分に固執し、なかなか新しいイエス様の教えを受け入れられない人々に対して、ご自分の身近な暮らしの中から譬として語られるイエス様の教えに私共もまた自分を省みさせられます。神の唯、あわれみによって聖霊によって新たにされ救われている私たち。このことは私たちの救い主イエス・キリストを通して私たちに豊かに注がれています。
「誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られたのです。古いものは過ぎ去り全てが新しくなったのです」Ⅱコリント5:17

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