2019年3月10日 聖書:ルカによる福音書9章10~17節 奇跡を行うキリスト~分かち合いゆたかさ~ 世良田静江牧師

イエス様の奇跡の中で四福音書マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの中で、奇跡を記しているのは、今日のこの五千人の給食のこの軌跡だけです。パンの奇跡とも言われます。さて、今日の箇所は弟子たちが伝道の成果を携えて帰って来たという箇所から始まります。弟子たちの報告を聞きながら、イエス様はひそかに弟子たちを連れてベツサイダという町に退いた。ところがその事を知った民衆がついて来たというのです。毎日の生活の中で、主のみ言葉を聞いて真に行っているならば必ず報告がある筈です。祈っていると不思議な事に出会えたり、病がいやされることもあります。イエス様はその弟子たちを連れ、ベツサイダに退かれました。人生の中で沈黙ということ、退いて深く祈らねばならないこと、人は進んで本当に力強いことを行えないのです。さて、群衆は後をついて来て、イエス様の話を聴こうとするのです。12人の弟子たちは言います。「日も傾き始めている。群衆を解散し、回りの村や里に行って宿をとり、食料を探すようにしてください」この弟子たちの言うことは当たり前です。その言葉に対して「あなたがたが彼らに食べ物をやりなさい」パンの問題を弟子たちに解決させようと命じたのです。この解釈は非常に信仰の在り方を問うています。例えば伝道が進まない。
①地域性があって
②自分たちには能力もない
③この課題は難しい、検討していきましょう
イエス様は弟子たちに50人を一組にして座らせなさい。そして五つのパンと二匹の魚をとり、祝福して裂き、群衆に配らせた。この時、天を仰ぎパンを祝福した。ユダヤの諺に感謝を捧げずに何かを受けるのは神から盗むも同然だというのです。イエス様の話に引き込まれ、自分だけ食事をとる訳にも行かず、自分たちの持って来た食べ物を差し出し、五千人の人々が食べて、12の籠にはあり余る程になった。共に分かち合う奇跡を生み出したのです。今も国境なき医師団は戦闘地域で働き、多くの人々を助けています。危険に瀕する時、神以外は助けにならないのです。「わたしたちは二匹の魚と五つのパンしかありません。教会は貧しく人数も少なく全くなすすべもありません」そうです。その通りです。でも教会にはイエス・キリストがおられます。イエス様はあなたがたの手で食べ物をやりなさいと。主の祈りで日用の糧を今日も与えてくださいと祈っているあなたがやりなさい。この軌跡で私たちが心にとめることは、わずかなパンと魚をイエス・キリストに差し出すことから始まったのです。小さな者が、弱い群れがわずかな捧げ物をイエス様に捧げるところから始まったのです。
「わたしの神は、あなたがたのいっさいの必要を満たしてくださる」フィリピの手紙4章19節。12の籠に入れる程あまったのはイエス様のみ言葉の続きを弟子たち行い、私たちも継続することではないでしょうか。

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