2019年4月7日 聖書:ルカによる福音書20章9~19節  「十字架の勝利」世良田静江牧師

本日の箇所は、誰でも理解できる話です。ぶどう園はイスラエルの国をあらわし、小作人とはイスラエルの国を任されている人達です。遣わされた下僕たちは無視され迫害され、時には生命をおとした預言者たちです。勿論、最後に息子として送り出されたのはイエス様であることがすぐに理解できます。この話は起こりうることだし、現に起ころうとしている自体であるということでもあるのです。当時、ユダヤは経済的に悪化していたとも言われます。これに伴い労働者の労働条件も不安定であり、苦しみに喘いでいたことも想像されるこの時代は殆どお金で支払われることもなく、収穫高の一定量が支払われたようです。ここの箇所からイエス様が言おうとしている事は人間の特権について、小作人はぶどう園を自分達で作ったのではないということ、彼らはその所有に与っている。地主が鞭をふるって彼らを支配するわけでもない。小作人達に自由を与え、彼らなりのやり方でする自由も与えている。これに対して小作人達は地主に地代を払わず、地主の支配権までも奪おうとした。これが彼の罪である。神本来の位置を自分達が占め、神のものである権威や権力を奪おうとする。ここに人間の本性があらわになります。自分達の欲しいままにして来たのに、その決算の日が来た時、今まで委ねられて来た事の責任が問われるのです。イエス様は近づきつつあるものを分かっていたのです。十字架の死も神の勝利を信じていました。ですからここにイザヤ書118篇22・23節を引用し、十字架の死と復活をあらわし、勝利を暗示されたのです。隅のかしら石は信仰によらぬ者は躓きとなり妨げとなる。信仰に由る者は頼みとなり避け所となる。この受難節を心から受けとめ、主のお苦しみを受けとめて歩みましょう。

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