2019年5月19日 聖書:マルコによる福音書10章17~22節 「幸福とは」豊田護兄

 先日ミンダナオの話しを聞きました。とても貧しい所ですが、自殺する若者はいません。貧しいながらも、みんなが仲良く暮らしていました。豊だといわれている日本、「心は豊かですか」と問われたときなんと答えたらよいのでしょう。この国はどこかで間違ってしまったのでしょう。

若者たちの自殺、児童に対する虐待、お年寄りに対する詐欺、登校拒否、引きこもり、そして貧困、いったい何が原因なのでしょうか。経済発展の名のもとにこの国が求めてきた価値に何の意味があるのでしょうか。コンビニの弁当やおにぎりの残り物が問題になっている国、一方でご飯とちょっとしたおかずだけで楽しく食事をしているミンダナオの子供たち、一番のごちそうは「ふりかけ」でもそこには底抜けの明るさと笑顔にに満ちた豊かさが見えました。

紛争と病気のために親がなくなる子供が沢山います。すると隣や近所の人が、「家で一緒に暮らしな」とあたりまえのように声をかけます。決してその人たちが豊かなわけではありません。日本人から見たらとても貧しい人たちです。日本では考えられないような話です。この話を絵本にして日本の出版社に掛け合うと、「死を題材にした子供向けの本は売れないから出さない」と断られたそうです。人はみんな死にます。それはきちんと向き合わなければならない大切な現実なのに。日本の出版社は何を求めているのでしょう。多分もうからない仕事はしないのでしょう。

聖書のこの青年の唯一の欠点は、お金持ちであることでした。彼はこれを捨て去ろうとはしませんでしたし捨て去れませんでした。まさに今の我々「経済」優先、全ての価値観をここにおいて暮らしている私たちと同じです。豊かさとは何でしょう。ものに溢れ、より多くの物を手に入れることが豊かさでしょうか。そのことは幸福につながるのでしょうか。心の豊かさを伴わない「幸福」は本当の幸福とは言えないのではないでしょうか。いずれ経済は破綻し恐ろしい時代がやってきそうです。その時にならないと、私たちは大切な物が分からないのかもしれません。

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