私たちにとって死は突然おそってくる打撃です。遠藤は「自分は多分みじめにわめきながら死ぬであろう」と、また佐藤先生は「野たれ死が希望だ」とおっしゃっていました、しかしお二人とも静かに帰天なさいました。
ダビデの家系の中で名君と知られるユダ王国のヒゼキヤ王の死の宣告について話したいと思います。ヒゼキヤ王は一国の王として責任者として神に服し、その頃アッシリアを選ぶか神に服すか迷い、神を選びました。アッシリアは不思議にも亡びてしまいました。アモツの預言者イザヤが王のところに来て「あなたは死ぬことになっている。遺言を書きなさい」と神エホバの言葉を伝えました。これは青天の霹靂であり、ヒゼキヤ王はどんなにかショックを受けた事でしょうか。
ヒゼキヤ王は顔を壁に向けて「あゝ私が眞實をつくし、ひたむきな心で御前に進み、御目にかなう善い事を行ってきた事を思い出して下さい」と「手放しで泣いた」「おいおい泣いた」と原語にはあります。この泣いたところが大切なのです。
突然死の宣告を受け、遺言を書けと言われて平気な人はいないでしょう。ヒゼキヤは泣くと同時に祈りました。これは信仰者の持つ特権です。神に訴えるのです。
「あゝ主よ、神エホバよ。わたしは眞をつくしひたむきな心をもって御前を歩み
御目にかなう善い事をしてきた事を思い出して下さい!」これは旧約の中では珍しい祈りです。旧約の中の人間は苦しみに会うと「何か罪を犯していたら許して下さい」と祈りました。ヒゼキヤの祈りは例外です。
突然襲ってきたこの死の宣告、自分を壁のように取り囲んでしまった死の運命!これと向き会って神に祈るのです。エホバはこの祈りをお聞きになりました。
「ヒゼキヤのもとに行って言いなさい。あなたの父祖ダビデの神、主はこう言われる。わたしはあなたの祈りを聞き涙を見た!見よ!わたしはあなたの寿命を15年伸ばす!」イザヤはヒゼキヤに伝えました。かくれた信仰告白を御覧になったのです。今もです。涙を伴う祈りは詩篇の中に時々見ます。詩編6篇8節「主はわたしの泣く声を聞かれた」とあります。ヒゼキヤ治世は29年ですから結局倍になったわけです。彼は何故この様な恵みを受けたのでしょうか。
何の理由もありません。神のあわれみが働いただけです。苦しみの中での涙!叫ぶ声!あわれんで下さるのが神です。飼う者のいない弱りはてた私共を見て深くあわれみ愛して下さるのがナザレのイエスです。ヒゼキヤは感謝の歌(イザヤ38章10節)「見よ、私の受けた苦痛は平和のために他ならないと。」
ヒゼキヤの運命(御計画)は変わりました。一生の真っ盛りに死ななければならないということでなく、もっと根本的な変化が起こったのです。病の癒えた後、彼の書いた感謝の歌(イザヤ38章10節)には陰府の門に閉ざされたようだ!羊飼いの天幕が抜き去られたようだ等、死の恐怖を訴えています。この様な状態が神の憐みによって奇跡的に癒されたことが彼の「新しいこと」が始まります。この苦しみにあった事が結果的に良かったと云うのです。「見よ私の受けた苦痛は平和のためにほかならない。」(イザヤ38章17節)
シャローム(平和)原語は健康という事です。病を克服し本当の意味の平和シャロームに到達したのです。ヒゼキヤは「神は真実で恵み深い事を子供に伝える」と言っています。信仰の生活は今だけではありません。未来があります。
御言葉の伝達という大きな希望をもって生きましょう。主が近くにいて下されば人々は生きていけます。(イザヤ38章16節)
定例行事
- 聖日礼拝
- 毎週日曜日10:30~
- 教会学校(子供の礼拝)
- 毎週日曜日9:30~
- 祈祷会・聖書研究会(午前の部)
- 毎週水曜日10:30~
- 祈祷会・聖書研究会(夜の部)
- 毎週水曜日19:30~
その他の年中行事
- チャペルコンサート(創立記念)
- 毎年8月下旬
- チャペルコンサート(クリスマス)
- 毎年12月23日
- クリスマスイブキャンドルサービス
- 毎年12月24日夜