2019年7月7日 聖書:イザヤ書52章7~10節  ローマの信徒への手紙10章14~15節 「いかに美しいことか。良き知らせを伝える者の足は」 世良田静江牧師

足が美しいというのは異常な言葉ではないでしょうか。普通は顔が美しいとか、姿が美しいと言いますが、足が美しい、うるわしいとイザヤ書の作者は言うのです。私は一番見られたくないのが足です。左膝の痛みをかばって歩く姿や顔も見られたくないものばかりです。山々を行き巡り、良い知らせを伝える者が行く、その人が走ると平和や安心が溢れる。人々の間にみなぎるのです。出来るだけ早く、どれ程遠くまで走る走る、そして伝える。その駆け抜けていく強靭な足、それを美しいと感じるそのことはよくわかります。顔は美しいが何のメッセージも持たない。それは何の意味も無いのです。ギリシャ神話に「争い」の女神エリスがいます。或る結婚式に集まった女神たちの中に黄金の林檎を投げ入れます。そしてそれを最も美しい女神に与えると言うのです。そこで女神たちの間に争いが起こり、その事でトロイア戦争にまで発展するという神話です。それ以来「エリスの林檎」という言葉が用いられ、エリスがやって来ると争いが起こる。それに対して「平和をつくり出す者は幸い」とイエス様は言われました。平和をつくり出し、福音を携えるユーマンゲゲリオン(福音)を投げ込むと平和が起こるのです。バプテスマのヨハネは「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言ってイエス様を指差しました。先日、麓刑務所に釈放前指導で行き、その後で面接を希望される方との面接で、キリスト教の洗礼を受けたいとの願いでした。唯、洗礼を受けるのにいくらお金がかかるでしょうか?How much money? には驚かされました。彼女は多くの宗教を巡り、麓でキリスト教に出会いました。30分の面接では時間が無いので、次の面接希望を出すことで話は終わりました。キリストを運ぶ人をクリストファーと言います。福音を待っている人に福音を届けるクリストファーになりましょう。パウロは足を使いキリストを伝えるために伝道しました。誇るべきは主を誇る。私たちはキリストを、福音を運ぶ者としてキリストを伝える足に徹していきましょう。

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