2019年8月25日 聖書:コリント信徒への手紙Ⅰ13章8~13節「素朴な力」豊田滋兄

自宅に来る人の話、上昇志向がある。キリストは逆でる。フランチェスカも同様である。

「ダンナハイケナイワタシハテキズ」
 新風連 1876(M9)10/24~25 種田政明(熊本鎮台司令官)の御妾さんの打電(第一報)
 164人死亡した。

1871年 熊本洋学校開校(M4)
 1876年1月30日(M9) 熊本バンド 花岡山 奉教趣意書
 1877年2月14日(M10) 薩摩軍出発
 1881年7月8日(M14)西部中会(長崎教会 柳川教会 下関教会 金沢教会)
学校教育を受けていない女子が、名文を打電できた
樋口一葉も名文が書けた。教育では超えられない世界がある。

アルプスの少女ハイジは、何も持っていないのに、人を幸せにする
私が絵を描いていると色んな方が声をかけてくる
このくらいは、誰でも描けますと言うと逆に驚かれる
先日来られた関西学院の職員の方43年お勤めになられたそうですが
 讃美歌を全く歌えなかった。逆にこちらが驚いた。

キリストも弟子達もどちらかと言うと素朴な人たちである
16世紀、地位も権威ある大審問官は、再臨のキリストに諭しますが、キリストは何も言わずに
 抱擁接吻して闇夜の街に去って行く(カラマーゾフの兄弟)ドストエフスキー
 最後の石の上のアリョーシャの子供たちにする説教が良い 素朴な内容である。

絵や歌は、非常に古い遊びである。文字より何百倍は古い。
普遍性がある、時空を超えて、世代を超える
普遍性は生きる力である。ブヌン族は八部合唱ができる。(最後まで首狩をしていた)
現代人は、できなくなっている。羊飼いたちは讃美をしながら帰って行った。
ラスコーやアルタミラを描いた人たちは、ごく普通の人たちと思われる特殊な階級は
存在しない時代であった。20000年前
人を生かすのは、素朴な力である。学識でも学歴では無い。論文を書くのも素朴な力である。
キリストの力も素朴な力を感ずる。それが失われているのが現代である。

帯状疱疹のため先週は、下関の家に近い下関西教会の礼拝に出席した。
  ホーリネスの教会である。鈴木恭子先生の居られた教会。
ホーリネス教会は素朴な信仰ゆえに、戦争中に弾圧され解散命令が出る。
  時の教団議長富田満は、これを容認する。6部9部のきよめ派といわれた教派
小倉復興教会(ホーリネス)の山本保さんは、戦時中の弾圧は恵みであったと述べている
真にキリスト者であると思う。まさに素朴な信仰である。

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