2019年10月20日 聖書:ローマの信徒への手紙8章28節~30節「共に働く神」世良田静江牧師

私たちは毎週、礼拝に出席し、御言葉を聴き、その御言葉が日々の生活の中でどう生きて働いているのでしょうか。礼拝堂を出た途端、ついさっきまで聴いていたメッセージは消え失せ、仕事や地域のことや家族内のごたごたに埋没し、聖書のことばが具体化せず、あの事は2000年前のこと、今の私に何のかかわりがあるのか、と思う人はいらっしゃるとは思いませんが、類似したことは沢山あるかと思うのです。50年以上前、大阪の忍ヶ丘という地域の一画にキリスト者の方々を対象に住宅地が分譲地として販売され、その中心に霊性生活研究所という家があり、大阪大学の斉藤先生という方が主宰されていました。サタンとはなんでしょう。誘われて初めて集会に出席した時の話でした。かつて日本の家は障子でした。小さな破れから風がスーっと入って来ても気づかない。唯、何時になっても部屋があたたまらない。サタンとはそんな存在で信仰が深まらない時には何が妨げているのかを考えましょう、といったお話でした。
パウロはここで神を愛する者たちとは神の働きの能動形であり、ご計画に従って召された者たちは受動形です。神様が一緒に働くとは、人間を人格的にして、その働きを見守られる神の愛で、深い人格的な愛のわざなのです。神様が共に働いてくださるのは全て益となるようにしてくださるのです。万事を益とするのは人間の心がまえではありません。この世を生きるには試練や苦難があります。しかし、この苦難を私たちが乗り越えることができるように神様が育ててくださるのです。神様はご計画をもっておられるのです。あらかじめ召した者たちを更に義とし、義とした者たちを更に栄光を与えてくださる。教会の目標はイエス様の御言葉の具体化、実践ではないでしょうか。イエス・キリストを中心とした共同体、兄弟姉妹の交わりが教会のあるべき姿でしょう。

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