2019年12月1日 聖書:ヨハネによる福音書7章25~31節 「イエス様お誕生への希望」世良田静江牧師

 先月、ローマ教皇が来日して短い期間でしたが、平和の大切さと核の使用は犯罪と言い切りました。イエス様は山上の教えの中で、平和を作り出す者として、ピースメーカーという言葉を使われています。平和は一人ひとり作り出すために努力することが重要なのです。12月1日から待降節が始まり、この季節はクリスマスシーズンとして子ども達もワクワクする時を迎えています。一年のまとめであり、新しい年のスタートだと思います。日本ではもう11月になれば商戦逞しい商店がクリスマスの飾りをし、12月25日が終わればお正月の用意が出来ている。この変わり目の速さに圧倒されます。もう一つ思うことは即位の礼でオープンカーの天皇・皇后に叫び続けて沿道を埋めていた人々が、ローマ教皇が来日されるとまた、歓迎の人波で溢れ、教皇様ブームとなり、日本人は寛容なのか、熱しやすく冷めやすいのかと理解が難しいというところがあります。さて、本日のところ、イエス様はメシアなのかという所です。クリスマスの待降の時に、この箇所が決まったのは何故か深く考えての事だと何回も聖書箇所を読みますと理解できます。イエス様は神殿の境内で教え始められた。(14節)この教えと内容に群衆は感動して聴き入っている。誰もがその深い語りかけに、この人よりもメシアが来られても多くのしるしをなさるだろうか、と驚いて告白しているのです。わたしの教えは自分の教えでなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。神のお考えと人間の浅い考えとでは全く違うことがはっきりしています。この事をしっかりと心に刻みつけておきましょう。このクリスマスシーズンを活かして教会へお誘いをする機会です。御子イエス様のご降誕を心から待ちのぞみ、このよろこびを分かち合いましょう。クリスマスの心をもって過ごしましょう。

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