2020年1月5日 聖書:マタイによる福音書5章1~12節 「祝福のことば」世良田静江牧師

この山上の垂訓、説教は教会に一度も足を運ばない人でもご存知と思います。何処かで小説や学校で学んでいると思うのです。1説~6節、7節~12節の二段構えですが、この箇所は主の祈りと記され方が似ていると思うのです。主の祈りが神を崇め、神の御業を祈り、そして私たちの日常の在り様に迫ります。さて、一節ずつを語っていけば数時間、いいえもっとかかることでしょう。心の貧しい人、悲しんでいる人、柔和な人、義に飢え乾く人と続き、7節からはあわれみ深い人、心のきれいな人々、平和をつくる人々、幸いなのは義のために迫害されている人々、そして11節にはあなた方は幸いだと言うのです。わたしのために人々があなたがたをののしって迫害し、あなたがたに向かってありとあらゆる悪いことを言う。その時に喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより以前の預言者たちも、人々はこのように迫害したのです。イエス様は人が不幸と嘆き苦しみあえいでいるところに幸いをお語りになります。イエス様は唯一つの状況に閉じこもっていないで他者のために、神のために行動に出ていくことをお命じになっているのです。自分のことの中に閉じこもっている人は幸いとは言えません。隣人との関わりの中で人は本当の幸いを感じます。今年この最初の礼拝ですので、皆様は何の箇所にご自分の思いを強く感じますか。麓刑務所で洗礼を受けた方が昨年12月に出所されクリスマス礼拝にお母様と一緒に出席されたとの連絡を牧師から頂きました。私は心の清い人は神を見る、を目標として歩みたいと思うのです。ありのままの私を見、その向こうに私の信じている神のお姿が見えるように今年も歩んで参りたいと思うのです。

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