2020年2月2日 聖書:ヨハネによる福音書1章1~5節 「御言葉の力によって」世良田静江牧師

このヨハネによる福音書は一体誰によって書かれたのかをブルトマンのヨハネによる福音書解説書を読みつつ、難しくて私にはお話することが今は出来ないと思いました。現代の世界は言葉が氾濫しています。沈黙の世界という本を書かれたピカートは背後に沈黙のない言葉は本当の言葉ではないという。もしも背後に沈黙がなければ言葉は深さを失ってしまう。人を思う心に言葉が先に多くあれば、それは深みのない言葉です。生命ある言葉と生命のない単なる音声にすぎない言葉があります。背後に祈り、沈黙のない言葉はこだまにすぎません。幼児に大声で話したり、叱っても心にひびきません。私は刑務所で面接希望者に対峙し話を聴きます。余りにも悲惨な状況だった事に応えることが出来ず涙するだけで時を過ごします。心の中で神様の平安が彼女にあるように祈るのみです。言葉があり、それは神と共にあり、言葉は神でした。初めに神と共にという語が出て来ます。新約聖書の初めにある「インマヌエル、神われらとともに」(マタイ1:23)「いつ迄もあなたがたとともに」(マタイ28章20節)ともには場所が一緒というのではなく、向き合って共にです。それは人間を支える神の原言語であり十字架のお姿でもあります。すべてのものは彼によってでき、できたもののうち何一つとして彼によらないものはありません。真の言葉は短く重いのです。いのちの言葉を語りましょう。光はやみの中に輝きます。闇は打ち勝つことができません。イエス様は言われます。「今は闇の支配の時でも恐れる必要はありません。あなた方はこの世では悩みがある。しかし勇気を出しなさい。わたしはすでにこの世に勝利している」と言われるのです。全存在、耳をそばだてる言葉、主のお言葉です。主がともにいてくださるのです。

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