2020年2月16日 聖書:コヘレトの言葉7章15~22節 「生きる」豊田護兄

 昔漱石は、草枕の冒頭に「知に働けば角がたつ、情にさおさせば流される、とかくこの世は住みにくい・・・」。人は生きなければなりません、が世の中は自分の方には向いていません。悪事をなす者がのうのうと生きて富を蓄え、善をなし人のためにつくす人は、早く亡くなります。のうのうと生きる多くの悪人は、たぶんそのことについて罪の意識はないでしょう。

 人には「知らない幸福」「知る不幸」があります。先日ひどいいコンサートにつきあわされました。食事がついていたのでがまんしましたが、ひどい演奏でした。音程も悪くアンサンブルも最悪でした。でも他のお客さんは喜んでいました。「とても贅沢な時間わ過ごせた・・」と言っていました。私と家内はとても不幸になりました。先月とても素晴らしいコンサートに行き、「音楽は人を幸せにする」と二人で話していたので、帰りに「音楽は人を幸せにも、不幸にもする」のだと思いました。

 先日、友達の退職祝いの品を買いに、骨董屋に行きました。一つは直ぐに見つかりました。とても有名な人の作品です。しばらくして、もっと素敵な作品を見つけて値段を見ると最初のものの半額、「これ柿右衛門でしょ」「そうです、12代が昔修行していたときの作品で「角福」釜のものです」、「なぜこんな値段なの」「箱がないから」との答え、もし箱があったら五倍の値段をつけるとか。「世の中そんなもんです」との答え、世の中とはそんなもんだと、骨董屋の主人におそわりました。

 世の中は、それが美しい作品だから求める人より、それが高い値段だから求める人の方が圧倒的に多いとのこと、中身より箱が大事だと言うことです。同じ者を見て、美しいと思う人、思わなくて値段で価値を決める人、人は何に価値を求めるべきなのでしょうか。目に見えものではなく、目に見えない本質に目を向けたいものです。
神は「何を見て、何を知り」生きて行けと言われているのでしょうか。

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