2020年3月22日 聖書:ルカによる福音書23章44~49節 「後で分かること」豊田護兄

 この聖書の箇所は、全ての福音書にあります。「真に神のこであった」「ことがなされた」
と表現が少し違いますが、全てが終わってから何か大切なものが分かるのです。何がなされたのでしょう。
 
 キリストは生前誰にも理解されませんでした。けれども決してぶれることなく生きつつづけました。そして殺されます。それでも理解されません。そして復活してその状況が変わり始めます。後になってしか真実は理解されないのです。現在騒いでいるコロナウイルスについてもそうでしょう。今は何も真実は分からないのです。だからこそしっかりと考えなければなりません。かつての戦争がそうでした。真実は総べて隠され国民のほとんどが欺され、戦争こそが正義だと信じました。私の父もそうでした、予科練に行き、多くの友をなくし終戦を迎えました。そして炭鉱にもぐりその青春を使い果たしてしまいます。だからこそ「欺されてはいけない」「ぶれずに生きなければならないと」と私に伝えたのだと思います。

 人は多くのことに惑わされます。その中でぶれずに生きることはとても大変です。周りの人に惑わされてはいけません。ルターの言葉に、「明日世界が滅びても、私は今日リンゴの木を植える」というのがあります。最近この言葉の意味が身にしみています。今のみに目を向けていると、大切な真実を見失います。ぶれずにしっかりとした自分をもって、今日自分のリンゴの木を植えなければなりません。

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