2020年8月2日 聖書:ローマの信徒への手紙12章9~12節、詩編133篇「フィラデルフィア~兄弟愛とは~」世良田静江牧師

教会では“愛”がよく使われます。殆どの牧師や説教者が礼拝の中で使わないということはないでしょう。むしろ使うまいとしても祝祷において神の愛を言います。扠、毎週毎週、聴き聞かされている私達。教会の交わりの中で愛ある交わりを行っているでしょうか。愛にはアガペー(神の愛、神の一方的な赦し)フィレオ(兄弟・家族・友人愛)エロス(価値のあるものを愛する)があります。詳細は書けませんが、一言で括るとしたら愛の三通りがあります。本日の箇所は兄弟の愛をもって互いにいつくしみ互いに尊敬し合いなさいと語っています。ここで兄弟姉妹愛にギリシャ語のフィラデルフィアが出てきます。この言葉を聞いて私達はアメリカのフィラデルフィアという街を思い出します。この街は日本語に訳すなら兄弟愛ということになります。この街の設立はウィリアム・ペンという17世紀の英国人です。当時の英国は国内の争いが絶えない時代でした。地上に兄弟愛という名の理想的な都市を造ろうとした所以です。詩編133篇に「見よ、兄弟が共に坐っている。何という恵み、何という喜び」とダビデがうたっています。ダビデは兄弟が和合している美しい交わりができることを政治の理想とする目標だったのです。互いに慈しむとは心の底から暖かい心をもって愛し合うという状態です。パウロは進んで互いに尊敬し合いなさいと語ります。ルターはこの進んでを先んじてと訳しました。フィリピ人への手紙2章3節の「へりくだった心をもって互いに人を自分より優れた者とすることを要求されているのです。」そして愛には偽りがあってはならないと言うのです。人間的なものに囚われると偽りになる可能性があるからでしょう。初代教会はキリスト者に対して地上で何を目指すかについてペトロの手紙Ⅰ1章22節に「あなた方は真理によって魂をきよめ、偽りのない兄弟愛を頂くに至ったのだから互いに心から熱く愛し合いなさい」今を生きる私達に主は望まれておられます。兄弟愛が支配する家族、兄弟愛が支配する町、兄弟愛が支配する社会、これらを作り出すことがイエス・キリストに仕える生き方をしている者たちの目標です。私達の良い交わりの中に必ず「進んで」という要求が含まれています。「あの人が変われば私も変わる。あの人が奉仕をするなら私も・・・」これでは変わりません。進んで人を愛し赦せるように日々の歩みをいたしましょう。

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