2020年9月27日 聖書:ヤコブの手紙5章7~11節「アルベルグ~巡礼者の宿~」世良田静江牧師

キリスト者の殆どはヤコブの手紙についてルターの言葉を心に留めすぎているように思う。ルターはヤコブの手紙を「わらの書簡」と呼び、それに対して19世紀のドイツの進学者、ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーは「それでもなお脱穀していない穀物の栄養の中に見出されるだろう」と答えている。古代の箴言やコレヘトの言葉などと同じように、ヤコブの手紙は如何に生きるべきかについての勧告であると受け止めたりと、イエスの兄弟でヤコブは60年代書簡を定式化したと言われる。だいぶ以前の事ですが、加藤常昭先生主宰の説教塾に参加し、ヤコブの手紙から説教を作り上げる会が由布院の修道院で開催され、私は深い学びを得ました。ヤコブは主の兄弟であったと言われ、彼は殉教に至るまでエルサレムの教会で指導者であり続けた。そのヤコブの遺骸がスペインのガリシアまで運ばれ埋葬され、813年ヤコブの墓の上に大聖堂が建てられ、聖ヤコブ教会サンディアゴとなった。11世紀頃は年間50万人の巡礼者があったとか。それから少人数に減少していったのが、此頃10万人に上る人々がサンディアゴ・デ・コンポステーラ(巡礼の旅)に出かけ、巡礼者の歩く街道沿には巡礼者の宿(アルベルゲ)があり、一夜の宿を提供する無料の宿がある。巡礼者は信仰の深みへ導かれることを願い祈りつつ、一方ではこの旅を楽しむ、また来し方、行く末を深める旅でもある。教会はアルベルゲであって良いのではないかと思う。ヤコブが指し示す人間性の豊かさを思えば、疲れた旅人に一夜の宿を提供しているアルベルゲの役割を担っている。心も体も疲れた時、立ち寄り癒やされる場が地上にある。この巡礼の旅が私たちに教会の在り方と方向性を問う。

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