2020年11月22日 聖書:マタイによる福音書14章22~33節 「夜が明けるころ ~人生の荒波を乗り越えて~」 楊周漢牧師

多くの人は人生を海の上を航海する船に例えます。それは、私たちの人生を支えている土台は丈夫な物ではなく、海のようにいつも揺れている不安定な物であるからではないかなと思います。外から吹いてくる風によって私は色んな危機にぶつかって生きています。
皆さんは今まで人生の危機の瞬間をどのように記憶していますか。多くの人々が人生の危機の時に、人生の舟を沈没させるような突風の中で、誰も自分に手を差し伸べてくれなかったという記憶を持っています。ただ自分一人で危機を乗り越えなければならなかったという記憶です。二度とその時の危機には戻りたくないし、これからは同じ危機は経験したくないと思います。しかしもしその時、誰かが自分に手を差し伸べてくれたら、どうなったのでしょうか。この聖書は人生の危機の時に手を差し伸べて私のしっかり捕まえてくださる神様の物語が記録しています。是非、今日私たちに差し伸べている神様の手を経験する皆さんになりますようにお祈りいたします。
1.奇跡の場を後ろにして舟を出す
5000人を食べさせた奇跡の後で、イエス様は弟子たちを「強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行く」ように命じています。弟子たちは豊の場に留まりたいと思ったかもしれませんが、イエス様は現在に留まらず新しい未来に向けて進むように命じています。
2.イエス様の祈り
3.逆風と荒波
弟子たちはガリラヤの湖で育てられました。しかし漁師として積み重ねてきた自分たちの知識や能力では乗り越える事が出来ない逆風と荒波に出会っています。ここで死を迎えなければならないと不安と恐れの中で真っ暗の闇が襲ってきます。考えてみれば舟を出発させたのはイエス様です。素直にイエス様命令に従っただけなのになぜこのような危機にぶつかったのか理解できないと思ったかも知れません。
4.湖の上を歩いて来られるイエス様
イエス・キリストは突風と荒波を静めた湖の上を歩いて来たのではありません。イエスは弟子たちのように突風と荒波の真ん中を通ってきましたが、突風と荒波がイエスを沈没させることはできませんでした。これはイエス・キリストが我々人類の救い主になれる理由ではないかなと思います。イエスはただ知恵を持って私たちを救おうとされる方ではありません。イエスは私たち人間のあらゆる苦難や苦痛を同じく経験された方であります。(いや、私たちが創造できない厳しい苦難を通った方です)しかし主イエスは私たちを愛する故にあらゆる突風と荒波に受け入れ、乗り越えて救いの道を開けました。
5.ペトロの願い
ペトロは突風と荒波を無くして下さるように願わずに、イエス・キリストのように自分も突風と荒波の上を自由に歩くように願いました。
6.ペトロの失敗とイエスの救い
イエス・キリストは私たちの信仰が弱まって、荒波に怖がり再び失敗しても、ご自分の手を差し伸べてくださる方であります。恐れずに突風と荒波の上に足を踏み出すように。

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