2021年1月10日 聖書:マタイによる福音書5章1~12節「幸福とは」豊田護兄

 人にとって幸福とは何でしょうか。人は美味しいものを食べたいと思います。
でもお腹いっぱいだったら、どんなご馳走を食べても美味しいとは思いません。
逆にお腹が空いていれば、何もなくても、暖かいご飯と漬け物だけでも美味しく
食べられ幸せになれます。大切なのは、ご馳走が沢山あることよりも、お腹が空いているというあたり前の事なのです。
 個人的な話ですが、12年前に脳内出血を起こして、トロンボーンが吹けなく
なりました。ずいぶん練習をして、最近少し吹けるようになりました。先日調子
よく吹けてとても幸せを感じました。たいした曲ではありませんでしたが、とても
素敵なメロディーだと感じました。昔すらすらと吹けた時には、吹けるのが、当たり前でそんな事は感じませんでした。吹けなくなって初めて音楽の美しさと素晴らしさを感じる事が出来た気がしました。何なのでしょうか。
 人は何かを失った時に、初めて見えてくるものが在るでしょう。聖書のこの箇所は、苦しむ者、悲しむ者、人から差別され虐げられている者は慰められる、と書かれています。決して幸福な者、豊かな者が救われるとは書いていません。
 私たちは日常の足下をしっかり見直さなければなりません。今のつらかったり
苦しかったりすることは、未来に約束された幸福のための準備の時期だと考えられないでしょうか。そしてそのことをしっかりと信じることこそ、真の意味の信仰とは言えないでしょうか。

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