2021年1月31日 聖書:マルコによる福音書3章13から16節「使命に生きる」岡田博文兄

「わたしについてきなさい」と呼びかけて、人々をお招きになった主イエスは、彼に従ってきた者の中から、使徒と呼ばれる十二人の弟子をお選びになりました。
主イエスが十二人をお立てになって、この後の教会の基礎になる新しい集団をおつくりになった「弟子選びの目的」は二つありました。
まず第一番目は、「彼らを自分の<そば>に置くため」でした。マルコ福音書には「そば」と訳された2つのギリシャ語が出て来ます。
一つがマルコ福音書4章10節、「イエスがひとりになられた時、<そば>にいた者たちが、十二弟子と共に・・・」という所に出て来る。この「そば」と訳されている言葉は「ペリ」〔περι〕というギリシャ語が使われており、「物理的に接しているという状態」を表わす言葉です。
もう一つがここ14節で、「彼らを自分の<そば>に置くため」とあります。この「そば」と訳されている言葉は、「メタ」〔μετα〕というギリシャ語が使われている。この言葉はただ物理的に接しているという意味よりも、「生命的なつながりを持って接している状態」を表わす言葉です。
まさに使徒とは、ただ主イエスに近く接するというだけでなく、キリストの命に生かされた者であり、主イエスとの生命的なつながりによって生きた人物でした。
 ですから、主イエスが弟子たちに求めておられることは、何よりもまず、主イエスのみそばに座って、そのみことばに聞き入ることであり、主イエスと<いのちの関係>を保ち続けることなのです。
弟子選びの目的の第二番目は、「宣教に遣わす」ことでした。神の国の福音を人々に伝えるために、彼らをお遣わしになることでした。「そばに置くこと」と「宣教に遣わすこと」とは、あたかも車の両輪のように、どちらが欠けても、その目的を達成することが出来ない、密接な関係を持っています。
私たちがどのような仕事を選ぶにしても、あるいは家庭に入って、家事に専念する生き方を選ぶとしても、みことばに従って生きる時に、私たちはそれぞれの仕事や生活を通して、神に仕えることができるのです。私たちは神と人とに仕えるために、主イエスによって、それぞれの家庭や職場や学校に遣わされているのです。神から遣わされた使命を果たすことが人生の目的です。  
初代教会の人々は、神に用いられ、神に生かされることによって、あの激しい迫害の中でも伝道を推進させてゆくことができました。今日でも、主は枝として召された私たちひとり一人と、この宮田教会を通して神の御業を行われるのです。 しっかりと「イエスのそばで」、主イエスに連なり、今日も神の御力をいただいて生かされ、そして、遣わされていくのです。

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