2021年2月28日 聖書:イザヤ書35章3~7節 「真実と事実」豊田護兄

真実と事実

 昔中学3年の時に、友人と望遠鏡を作り月とオリオン大星雲そして木星を見ました。あの時の感動は今も忘れません。お金が有りませんから、安いキットを買い台は材木を買い自分でつくりました。自分の目で見て確かめたかったのです。高校の時にブレヒトのガリレオ・ガリレイを見て感動し、岩波文庫の「星界の報告」を買って読みました。大学そして大人になっても何度か読み返しました。
 ガリレオがこの本を書いたのは1610年です。コペルニクスが「天体の回転について」を1543年にかいて物議をかもし、教会はガリレオを裁判にかけます。その頃ケプラーは惑星の楕円軌道を発見します。ガリレオは実は数学者でもありケプラー同様に軌道の計算によって証明出来たのですが、頭の固い教会にしたがいます。それから1632年に「天文対話」を出し仮説として地動説について論証します。それが教会の逆鱗に触れ、1633年再び裁判にかけられ無期刑を言い渡されます。その時に「それでも地球は動いている」という台詞が伝えられていますが、それは嘘で「好きな様にやってくれ、あなたたちの手の中に私はいるのだから。」と言ったのが記録にのこっています。

それでも時代は多くの自分の目と観測そして計算という嘘をつかない数字を元に教会とは違う方向に進みます。数字と観測による事実を認めない教会の人々そして真実を認めない行為。これは何なのでしょう。地球が丸いという事実についても同じことがありました。かつてガリレオがケプラーに書いた手紙の中に「真実とは、自然の中にあり、古い本の中に有るものでは有りません」と述べています。同じ事をファーブルは昆虫記の中でのべています。

真実を述べる人、それを事実として認めない人や社会や権力。これは昔の事では有りません。70年前の戦争の時、多くの真実を述べた人が殺されたり弾圧されました。今も例えば、原発や環境問題で、都合の悪い事実は認めようとしませんし、コロナによって多くの職を失った外国人研修生や貧困の事実には目を向けようとはしません。ある意味でガリレオの時代と何も変わっていないのです。

大切なのはしっかりと自分の目で空をみあげることです。そのためにも、弱った手に力を込め、よろめく膝を強くしなければならないのです。世の中に欺されてはいけないのです。

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