2021年4月4日 聖書:ヨハネによる福音書20章1~18節「復活の朝」世良田静江牧師

イースターおめでとうございます。世界共通によろこべる、そして必ず行われるのがイースター・クリスマスだと思います。2月17日(水)灰の水曜日から始まり、4月3日(土)まで受難週に至るまで。イースターを迎え、礼拝できることは嬉しいことです。灰の水曜日、灰を被り、自分とはなんとみじめな人間なのかという自分をみつめる46日間。自分の有り様を考えるとは何とも深い日々かと思うのです。そしてこの暗い日々から解き放たれたようにイースターの喜びに与るという歴史を作り上げて来た方々への思いも深まるのです。さて、本日の箇所は大変長いのですが、復活の様子を詳細に書きとめています。言葉では言えない程、痛々しい十字架の主のお姿。マリアは朝早くまだ暗いうちに出かけたのです。あの墓を塞いでいる石をどう取り除くか、そんな心配もあったでしょう。ユダヤの埋葬習慣では死体を布で巻いて横穴式の墓の小部屋の石のベンチに安置します。墓には死体を巻いた布だけが置かれていました。此処に主の復活のしるしがあると思います。全ての復活の主は新しいお体にかえられたのです。復活の主はマリアを個人名で呼びました。私たちもお一人おひとり、個人名で呼ばれ、復活の主は私たちの人間の生を限りない愛情で包みます。「私の父であり、あなた方の父である方、私の神であり、あなた方の神である方のもとにわたしは上がってゆきます」と。私たちと共通の神のもとに凱旋されることを語られます。復活は私たちをこの生きた愛の結びつきに目覚めさせるのです。苦難や問題は山積み、でも、主が共にいてくださいます。この主と共に歩んで参りましょう。

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