2020年5月2日 聖書:ローマへの信徒への手紙1章1~7節「教会の交わり」世良田静江牧師

スティホームの呼びかけで、いつもなら各会の総会やその準備で、4・5月は殆ど出かけていることが多かったのに、総会は資料承認となり、何かスリム化されて、コロナ禍のこの時期を今までにない状況を過ごしていることを深く実感しています。もう20年程前でしょうか、USニュース&ワールドレポートが世界の歴史を創った人々というシリーズの中にNo1 アレクサンドロス大王 2 シーザー 3 聖パウロ 4 アウグスティヌス 5 ベネディクト と記されていました。パウロは2000年前、キリスト者迫害の首謀者であり、ダマスカス途上で目が見えなくなり、突然の症状から想像に絶する事態であったろうと思います。ローマ人への手紙に召されて使徒となったパウロ。そのパウロが聖徒一同に出す手紙。召されて使徒となったパウロの働きが世界伝道への道標となった一方、パウロは若き日の迫害の旗手であったことが、いつもパウロの心の中にあったのでしょうか。パウロを使徒として認めない人々もローマに居たからでしょう。疑うということは交わりを殺す毒薬です。ユイノーニアとギリシャ語では言いますが、パーティシペーション(英語)大いなる一つの名に参与する。与える。それが聖餐式です。ローマ書は確かにパウロではなく神です。不確かで不安のように見えても、私たちは神の手によって今を生きているのです。土の器のように欠けやすい、壊れやすい物かも知れません。用いてくださるのは神様です。粗末な土の器であっても用いられ、コロナクライシスにおちいらず、頑張らないで主と共に歩む日々を大切に過ごしましょう。

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