2021年6月20日 聖書:フィリピの信徒への手紙4章2から9章 「人智を超えた神の平安」茶屋明郎牧師

 
 生きることは喜びであり、喜びのない人生には命がない、喜びは喜べるじよぅ兼が整っているから喜べるのではない。問題は喜ぶ力を持っているかどうかである。
 パウロは、確かに喜ぶ力を持っている。なぜかというと、彼は、喜べる条件が全くなく、むしろこれほどの悲しみや苦しみ、そして絶望はありえないと思える命の危機に晒されている牢獄に置かれるただ中で、喜んでいるからです。
 彼には、岩の上に生きる土台を固く据え、極度の緊張のただ中で、究極の平安を保ち、途方に暮れるような状況のただ中で、望みを失わずに、万事休すともいわず、いや大丈夫だ、光があると思い、危機から自由になっている姿がある。
 彼はどうしてこのように固く立ち、自由になり、希望に生き、喜んでいることができたのか。それは、人知を超えた神の平安に守られているという自覚と確信があったからでした。つまり、人間の力や理性を超えた、普通ではない、時別な、驚くような神の平安にすべてをゆだねて、自分の力や努力に頼らず、神が与えてくれる平安に固く立つことが出来たから、喜ぶことが出来ないようなときにも、喜ぶことが出来たのでした。
 パウロは、神の平安に守られ、喜ぶことが出来ることがどんなに確かなことであり、すべての人にも実現する根拠として説明しているのは、それは、キリストを通して、キリストに出会うことによってであることを証ししています。
 意見の食い違いよって、対立し、寛容な心を得しなっている二人の婦人に対して、キリストにあって、キリストの愛と赦しによって生かされているという思いを同じにしなさい。そうすれば、喜びに生き、寛容な心が生まれ、共に生きることが出来ると呼びかけます。

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