2021年6月27日 聖書:マタイによる福音書19章16~22節「富とは何か」豊田護兄


 「あなたは、今欲しい物は何ですか」と問われたら何と答えますか。聖書のこの青年は何が欲しかったのでしょう。でもそれは手に入りませんでした。
私がまだ若かった頃の文章に「モンブランの万年筆とバーバーリイのコートと4WDの車が欲しい」とありました。あの頃、物はないけれども希望と夢がありそれなりに幸せでした。今全て手に入れましたが、あの頃より幸せかと問われるとどうでしょうか。   この年になって考えてみると物が手入ったら幸せになるかと言うと少し違う気がします。それより希望や夢が大切な気がします。若い時にあった「希望を託せる目に見えない何か」が大きく関わっている気がします。
私たちは豊かになったといわれていますが、幸福になったと言えるでしょうか。先日若い青年たちが80歳の老人をだまし2000万円を奪い、捕まった時は全部使ってしまっていたそうです。彼らは騙された老人のことは何も考えないのでしょうし、返す気持ちもないでしょう。何か大切なものが失われている気がします。
物やお金や富があれば、本当に幸せになれるのでしょうか。物ではない何かが今問われています。そしてそれはお金では買えないものでしょう。例えば心から話せる友人、季節を楽しめる心のゆとり、そして時間、これらは日常にころがっていますがタダです。それを豊かに使い幸せになるのもあなたの心しだいではないでしょうか。

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