2021年7月11日 聖書:マタイによる福音書6章25~34節「未来について」豊田護兄

 私が生まれたのは、1954年です。その100年前の1854年は、ペリーがやってきて日本が鎖国をやめた年です。葛飾北斎が死んだのが1849年ですから、まだ江戸の情緒も美しい空もありました。娘の応いが描いた絵には、美しい星空と蛍が描かれてします。あれから160年たった東京はどうでしょう。情緒や美しい空や川はなくなってしまいました。60年前の福間の川は綺麗でした。みんな川で洗濯をし川で泳いでいました。鮎ものぼってきていました。
「何事も変わり果てぬる世の中に  契り違えぬ星合の空」という美しい歌は無くなってしまいました。
と同時に大切な文化もなくしてしまいました。

 明治以降文明開化の名の下に、文明と文化を勘違いして国を作っていきます。目指したアメリカや西洋の諸国は確かに文明は進んでいましたが、所詮物質中心の世界であり特にアメリカには文化は有りませんでした。岡倉天心の文章に、「西洋諸国は、日本を野蛮な国だという。それが満州の原野で沢山の兵士を殺すと、文明国になったと言う。彼らに文化を理解するとか教養があるのだろうか」という文があります。   そうです文化と文明は全く違うのです。それを勘違いして1945年敗戦を向え全てを失います。 それでもまだ、文化のないアメリカを追いかけ又つまずこうとしています。

 それでは現在を考えて見ましょう。1953年にブラッドベリーという人が、華氏451度という作品を出します。近未来に情報は全て支配され、本を読む事は禁止され本を燃やす社会が描かれています。自由に人が考える事を操作され、テレビしか見ない社会です。当時はパソコンやインターネットは有りませんからテレビになるのです。今の若い人もほとんどの人が本を読まなくなっています。若い人は新聞も読まずテレビも見ず、全てインターネットの情報ですますのだそうです。自分につごうがよい情報のみを選んで生活しているという話を友人に聞きました。まさにブラッドベリーが予測した世界がいま来ています。簡単に情報を操作しみんなを考えない消費者にすることを誰かが目指しているのかもしれません。その上格差は広がり、食事が満足に食べられない子どもが6人に一人いる社会。幸せな社会と言えるのでしょうか。160年前の日本の社会の方が豊かだったと試算する学者もいます。

 少し未来を考えましょう。近未来2030年です。地球温暖化のリミット、人口と食料問題のリミット、森林破壊と環境破壊のリミット、そしてゲノム解析の完成と5Gの年が2030年だとか。下手をすると地球は滅びてしまうかもしれません。脱石油は良いのですが、アメリカを中心に経済の大混乱が起こりそうですし、5Gの完成で監視社会と情報操作は進みます。ゲノムの問題は人間の人格や人権や尊厳に大きな転換期を迎えます。もはやユートピアは存在しなくなります。デストピアの未来が待っている気がします。

 だからこそ今考えなくてはなりません。何を着ようか、何を食べようかではなく、今一番大切な物は何なのか、与えられた耳に気持ちよい言葉ではなく、今をきちんと見つめ直し自らの力で考え直さなければならないのではないでしょうか。物ではなく文明ではなく目に見えない「文化」という精神と心の世界が大切なのではないでしょうか

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