2021年8月1日 聖書:ローマの信徒への手紙8章31~39節「悲しみとの融和」世良田静江牧師

8月は平和を考える月間です。また、今年は国際児童労働撲滅年でもあります。まだ未成熟な子どもたちが労働に使われる現状を留める喫緊の課題でもあります。SDGs(Sustainable Development Goals)持続可能な世界のために大きな17の目標が掲げられて2030年迄の達成のために今、社会は動いていますが、100円均一の物が溢れていて、その作っている人々の生活は低賃金で抑えられ、買う私たち使い捨てとして安価な物を買い求める事を反省するべきでしょう。作る責任が企業に問われ、使う責任が買う側に求められているのです。8月は深く考える月としましょう。今日のテーマはパール・バックのことばです。障害をもった娘がおりました。パール・バックはこのことを悩み、それで書いたのが本日の説教題でした。これが自分の生活なのだ。私はそれを生き抜かなくてはならない。何度も自分に言い聞かせるのです。悲しみは容易に耐えられるものではないにしても、和解することだと彼女は深く留めるのです。宗教というと何か困った時の神頼み的なところもあり、ハッピーでなければという観念にとらわれがちですが、人間だけが感じる、それも成熟した大人が感じる切なさは人間の心に触れるものです。切なさは人間の大人が感じるものだとすると悲しみはどうでしょうか。パール・バックは悲しみの錬金術、金でないものから金を作り出す。そのようにして悲しみを乗り越える。対立するものから離れることが出来たというのがこの題です。相模原事件の植松被告は障害者が不幸をもたらすと主張します。障害者をもたれる母親は大変だ。けれど不幸ではない。私たちに襲いかかる艱難や苦しみ迫害、飢え危険などに出会い、キリストから離れることがあるかもしれません。主イエスから示された神の愛により引き離すことはできません。すべて神の霊によって導かれ者はすなわち神の子であり、もっと高みへと導かれるように祈りつつ歩む日々が大切なのです。~主よ、もっと高みへ導いてください~

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