2021年9月5日 聖書:マルコによる福音書4章35~41節「何故怖がるのか」世良田静江牧師

本日の箇所は必ず礼拝の中で聞かれたところでしょう。イエス様のお話を聞きたくて集まっている群衆を岸辺に残し、イエスと弟子たちは舟に乗り込んだと書かれています。そして、他の舟も一緒だったと。激しい突風がおこり、舟は沈みそうになった。舟に乗っている弟子たちはイエス様を起こして「先生、わたしたちが溺れてもかまわないのですか」と声を荒げて叫んだことでしょう。イエスは起き上がり、風を叱り、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になったと記されています。イエス様の乗られた舟、一緒に岸を離れた他の舟はどうしたのでしょうか。岸を離れるときは他にも二、三艘あったのはどうしたのでしょうか。イエスと共に乗った舟の様相だけが描かれ、弟子たちの慌てふためく姿が此処に描かれているのです。今、私たちの生きている世界は極微小なウイルスの蔓延によって脅かされていて、人間の力の弱さ、社会の脆弱さを痛感させられます。主と共に歩むのが教会でありますが、この様な事態になると、大いに恐れおののいて、お互いに言い合うことがあります。実は教会はつねにこのイエス・キリストの問いにさらされています。「何故信じないのか」この突風との遭遇で弟子たちは「いったいこの方はどなただろう」と畏敬の念に跪くのです。どんなに困難や思わぬ事態にも必ず道があります。そのときこそ主の大いなる力が明らかになります。嵐が主人になっていませんか。教会は自己目的のためではなく、教会は他者のための存在になるときのみ教会である。(ディートリッヒ・ボンヘッファー)

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