2012年9月16日聖書:マタイによる福音書13章1~33節 証し 「わたしの半生-主に守られて」 水野 操姉

「われら四方より悩み受くれど、窮せず、せん方尽くれど希望を失はず。」
この聖句に支えられて、多くの苦難を乗り越えてきました。1948年大野浦教会が服部団次郎先生によって始められ、やがて幼稚園も出来、多くの人の慰めの場になりました。やがて露天掘りが始まって、現在地へ移転、宮田教会として再出発、幼稚園も唯一の私立幼稚園として、多くの園児が巣立ちました。時代は石炭から石油へと移り変わり、炭鉱もついに閉山。多くの兄弟姉妹が、職を求めて、九州を去られました。会堂も年月を経て、建て直しの時期になりました。でも将来性のないところの教会ということで、教団からの助成金はうけられず、教会の土地を売って建設資金の一部にし、多くの教会に声をかけて支援を頂き、先生や役員信徒の方々のご苦労が実って会堂が建ちました。この新しい会堂で何年牧会されたでしょうか、先生は引退を決意されました。塩川勝兄や鶴尾兄たちがご尽力くださいまして、東京の下妻(さえぐさ)教会から立花先生をお迎えできました。地方の風習になかなかなじめず、二年余りでおやめになり、無牧となりました。東篠崎教会の大園先生を代務者として迎え、北九州地区の先生方が、ご自分の教会の礼拝を終えられて、午後から交代で、宮田教会の礼拝を守ってくださいました。本当に感謝の日々でした。三人で、事務的な事は鶴尾兄、外回りの草取りは塩川姉、会堂と牧師館の掃除は私と、分担してやってきました。平島先生と笹井先生が来て下さいまして、来る人誰でもふんわり包み込んでくださる暖かい大らかな笹井先生を始め、家族的な教会として楽しくやってきました。塩川フミコ姉が高齢と病の為、礼拝の出席がなく、さびしい思いをしていましたら、神様がすばらしい姉妹を招いて下さいました。豊田英子姉です。困った人を見るとほうっておけず、すぐにかけつけて手をかしお世話される姿を見て、これが真の信仰者、クリスチャン姿と非常に感銘をうけました。そして永年教会に関わりながら、何一つお役にたつことのなかった私を省みました。そして聖書にある種蒔く人のたとえのように、私は石ころだらけの地にまかれた種の様だ、と。み言葉は喜んで聞くが、長続きせず、根がないので枯れてしまう、と。でも神様は、私のような者も見捨てられませんでした。毎週聖日に教会に導かれ、み言葉を学び、み名を讃美し、兄弟姉妹から慈愛の雨を降り注いでもらって、荒地に根を張ることが出来ました。よき地に蒔かれた種は、すでに実を結んでいますが、私はまだまだです。ふりかえりますと、すでに私は皆様に労わられる齢になりました。今でも皆様に大変甘えてばかりです。これからもっとお世話になることと思いますが、どうぞ、手を離さずに、信仰の道をご一緒に歩ませてください。教会が宮田の地にあって、弱き者の祈りの場、慰めの場でありますように。牧村先生のお働きに祝福を、そして、健康をお守りください。

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