2017年9月10日 聖書:ローマの信徒への手紙10章5~13節 「言葉は御心とともに」豊田護兄

 「御言葉はあなたの近くにあり あなたの口あなたの心にある」とあります。言葉は心がともなって初めて真の力になるということです。

 「言葉」とはなんなのでしょうか、「言葉」には、人の気持ちを伝える機能があります。目に見えない物を形のない物を伝えやすくすることができます。反面言葉は嘘をつくこともごまかすこともできます。相手に対しても嘘をつけますしそれによって自分をごまかすこともできます。そして自分のごまかしに自分自身がおぼれてしまうことがよくあります。これがとても怖いのです。昔の人たちは「言の葉」といつて恐れたり、「ゴッド・スペル」「ウイッチ・スペル(呪い文)」といって恐れたのはそのためです。多くの政治家は嘘をつき、言葉でごまかそうとします。小池都知事は、関東大震災の時の朝鮮人や大杉栄の虐殺を認めようとしません。過去の歴史的な事実を認めようとしない安部首相と同じです。この人達の言葉には心がありません。欺されてはなりません。

 言葉は一見共通なように見えて全くその後ろにあるニュアンスが異なる場合が多々あります。例えばずっと音楽を生活の一部として毎日練習に励んでいる樋口さんが使う「音楽」と音楽とそれほど深く音楽に関わりのない私たち使う「音楽」という言葉の後ろにあるニュアンスは全く違います。だから「言葉」は間違えやすいもので大切に使わなくてはなりません。

「悲しい」といっても、笑いたくなる悲しみも、嬉しい悲しみもあると、詩人の谷川俊太郎さんは言っていました。単純ではないのです。今分断と差別の時代が貧しさを背景にやってこようとしています。本当の敵は誰なのか。心を伴わない言葉を使う政治家たちのような人に欺されてはなりません。誰の言葉に御心が共にあるのか、しっかりと見極めなければなりません。

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