2018年4月22日 聖書:コヘレトの言葉1章12~18節 「人は何を大切にするのか」豊田護兄

人が一番大切にしなければならない物は何でしょうか。お金・地位・名誉・友達、なんか違う気がします。私は、みんなが持っていて当たり前だと思っている「生きている」と言うことではないかと思います。そしてそれを「どう生きるか」ではないかと思います。

M.エンデに「モモ」という作品があります。読んだかたも多いと思います。内容はみんなが誰でも持っている時間を、人々が効率と無駄を無くすことで幸せになれると思わされ、段々無駄な時間を過ごさなくなり、心にゆとりが無くなり不幸になるという話です。まさに現代の大きな課題を考えさせられる作品です。

 人は何に知恵を絞るのでしょうか。無駄を無くし、効率よく仕事やあらゆる事を処理し、便利になれば幸せになれるのでしょうか。時間を無駄にしないために、人は色々な物を作ります。例えば高速道路はどうでしょう。気がつくと、景色をのんびり眺めるゆとりも、季節を感じる余裕も無くしています。最近、家の近くの峠にトンネルができました。時間は5分短縮されましたが、母曰く「綺麗な海も、季節の移り変わりを感じる森も見えなくなるね。」便利の後ろには、時間の短縮の引き換えに、何か大切な心のゆとりを無くしているのです。
 
 昔ピアニストのおばあさんと話しているときに、彼女はパリで音楽を学ぶために舟で3週間、マルセイユからパリまで16時間汽車に揺られて行った、と聞かされ
自分たちが16時間かかって飛行機で行ったのと比べて一言、「なんて夢のないつまらない時間を過ごしましたね。」と言われて考えました。人はこの無駄と思える時間からどれだけ多くの事を学んだのだろうか考えさせられたことを思い出します。学ぶ為の効率はありません。時間をかけてじっくり学ぶことしかありません。

 ゆっくりお茶やコーヒーを煎れたり、無駄なおしゃべりをしたり、子どもとゆっくり話をしたり、月や星を眺め季節の移り変わりや時の流れを感じたり、季節の花を眺めたり、お金にならないが大切にしている事に時間を使う、これらは決して
無駄ではないと思います。全ての人に与えられた大切な物をじっくり味わいながら生きていくための基礎なのかもしれないと思います。「知恵はむなしい」とは、
そういう意味も持っているのではないでしょうか。

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