2019年1月27日 聖書:マタイによる福音書5章1~12節 「幸せとは」豊田護兄

 「今の時代は本当の意味で豊かで幸福でしようか。」と問われて、どう答えますか。今の社会ではほとんどの人達が「豊かになれば幸福になれる」と、考え違いしています。お金がありどんな物でも手に入る人のみが幸福で、お金が無く何も買えない人が不幸だと考えています。この世の中の価値観に欺されてはいけません。昔の犬やネコは、残り物を食べ味噌汁かけご飯を食べていましたし、服やコートを着る犬やネコはいませんでした。気がついたら、犬はドッグフードでなければ、ネコはキャットフードでなければという事が常識になりました。いつ誰が情報を操作してみんなの価値観を洗脳したのでしょう。

 今は物にあふれ、みんなと同じでないと不安になり、みんなと同じ物を持つことで安心を得ようとします。そこに生まれるのは、持てる者は幸せ、持てない者は不幸せという論理です。昔縄文時代は狩猟中心でみんな貧しく食べるのが大変でした、でも貧富の差は無く王様もいず戦争もありませんでした。それが弥生時代になると農耕が始まり食べ物も豊かになり人口も10陪以上に増えますが、持てる者と持てない者が生まれ貧富の差ができ権力の集中と共に王様と階級が生まれ戦争が始まり今に至っています。人は何かを得ると何かを無くします。私たちはいったい何を無くしたのでしょう。

 「心貧しき者」とは大切な何かを無くしたと感じる人の事ではないでしょうか。物やお金をどんなに得たからといって、本当に幸福になれるのでしょうか。私たちの生活を振り返ってみて、また今までの人生で「幸福」を感じたのはいつですか、どんなときでしたか。お金や物には関係のない事ではありませんか。「お金では買えない」何かではないでしょうか。もう一度生活全体を見直して、大切な無くした物を考えて見る必要が、今の時代こそあるのではないでしょうか。

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