2019年7月21日 聖書:フィリピの信徒への手紙2章1~11節 「あなたは何を一番大切にしていますか」豊田護兄

 人は色々な衣をまとって自らを表そうとします。それが地位であったり、財産やお金であったり、学歴であったりと色々です。キリストはどうでしょうか、偉大な力と神の子であることをけっして人に告げようとしませんし、奇跡を起こすたびに弟子達に人には言うなと釘を刺し、自然なそのままの姿で自らを表します。私たちもそうありたいものです。こういう人にはお近づきになりたいと思いますし、学ぶ事も沢山あるでしょう。

 一方アメリカのトランプさんや、安部さん麻生さんはいかがですか。あのワガママでお金のことしか頭になさそうな人達、権力や地位やお金で自らを表そうとする人達、けっしてお近づきにはなりたくありませんし友人にもなりたくありません。大切にしているものが全くちがうからです。

 仕事で毎日子ども達に本を読んできかせています。今「アルプスの少女ハイジ」を読んで聴かせています。ハイジは何も持っていません、それどころか、両親を亡くしおじいさんだけを頼りにくらしています。学校にも行かず、自然の中で暮らしています。そしてその飾らない自然な優しさで周りの人を幸せにします。そのハイジは、フランクフルトにいきます。そこにはロッテンマイヤーさんが待ちかまえていて、何もない育ちの悪い田舎者とハイジを決めつけ教育しようとします。このロッテンマイヤーさんは、なんだかあまり幸せな人とは思えません。まして周りの人を幸せには出来そうもありません。育ちも良く教養もありお金も沢山持っているのでしょうが、人を幸せにはできません。色々な事件がありますが、最初にハイジが子猫をもらってくる下りがあります。孤独なクララにとって初めての子猫で大喜びをしますが、ロッテンマイヤーさんにはそれが理解できません。その人にとって「一番大切な何か」が理解出来ないのでしょう。ハイジは自分のことをハイジと呼んで欲しいのに、ロッテンマイヤーさんは、「アーデルハイド」と呼びます。この人にとっては、社会的な立場の方が、自然なそのままの人としての散在より優先するのでしょう。

 あなたは、貧しく何も持っていないけれど、周りの人を幸せにするハイジを選びますか、それとも沢山の物と育ちは良いけれど、周りの人の幸せが理解できないロッテンマイヤーさんを選びますか。

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